カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

維持できないからという理由でフロイスが献上した置時計を返した信長の気持ちはよく分かる

ヲタの拘りとして前回のエントリに突っ込まれる前に補足しておくと、4m前後の全長で後輪駆動のMT車は他にもあるにはある。小さいスポーツカーに目がない身としては、その辺をほじくり返せばいろいろ出てくるのは知っている。

スポーツカーの本場たる英国にはゴードン・マレーのアトムにジネッタと最近はゼノス、オランダにはドンケルフォールト、ドイツにはイエス!、はたまた日英合作のVEMACなんて変わり種もある。どれも素晴らしく魅力的なスポーツカーには違いないが、価格や信頼性の問題をさて置いたとしてもやはり購入候補に挙がることはない。
なぜか。余りにもマイナーで国内に取扱店がほぼ一つしかなく、それもいつ途絶えるか分からない。下手したらメーカー自体が消滅する可能性だって低くはないからだ*1。買って終わりの美術品ならともかく、メンテナンスや修理が欠かせない工業製品であれば、維持管理が心許ないものに大枚を叩く気にはなれない。

世の中に好事家(と書いて物好きと読む)と呼ばれる人種は多かれど自分はリアリスティックな好事家というべきもので、継続的な維持管理が困難なモノに後先考えず金を突っ込むことは決してないという、堅実といえば堅実で面白くないといえば面白くない、貧乏性といえば貧乏性な男。よくよく考えてみれば、そのような人間が独り身で建てる家がLWHの如きものとなるのは必然であったのかもしれない。

 

*1:実際に上記メーカーの中でもいつのまにか唯一の代理店で取扱いが終了していたものもあればメーカーが消滅してしまったものもある。そのような車は維持管理が困難を極め、ただでさえ低いリセールバリューも暴落するであろうことはいうまでもない。自己責任とは言え、購入者にはご愁傷様と言うほかはない

寿命の到来

 序一 家の寿命とは

 

家の寿命は実際のところどれくらいだろうか。
資産評価としては木造は20年、RCでも50年を経過した時点で一円の価値もないと評価されるが、それは住まいとしての寿命を指すものでないことは言うまでもない。本来の意味での家の寿命、すなわち人の住処たる構造体として十分な強度を何年間保ち続けるかを確かめた例は日本には殆どないのではないだろうか。

・間取りや広さ、構造が住人の要件を満たさなくなったから
・修繕が続いて住人に住み続ける意欲がなくなったから
・住人がいなくなったから
・売却するにあたり更地の方が資産価値が増すから

殆ど全ての家はこれらのどれかあるいは幾つかの理由により、本来の構造体としての寿命を迎える前に取り壊されてしまうからだ。

では本来の構造体としての寿命、すなわち「倒壊の危険により住み続けることができなくなる」まで何年かかるかと言えば、これが案外長いのではないか。究極の例として千年以上その姿を保ち続ける法隆寺五重塔が挙げられる通り、適切にメンテされる限り木材は非常に長くその強度を保ち続ける。時間の経過とともにCO2による中性化、それによる鉄筋の腐食で崩壊のリスクを抱えたRCより(シロアリに食い荒らされなければ)サステイナブルな素材なのではないかとすら思う。
周囲を見回してみても築50年近い木造住宅はざらにある。より進化した現代の建築技術で建てられたのであれば、大地震などの外乱要因がなければその倍くらい持つのではないか。と考えているがどうだろうか。とりあえず我が家は家主が死ぬまでもつくらいは問題なくクリアしそうだが。

 

序二 機械の寿命はどうか

家の寿命を「構造体として自立できないほど強度が落ちた時点」とするならば、機械の寿命はどの時点で訪れるのだろうか。実はこれはあってないようなもので、なんとなれば機械は機械である以上あらゆるパーツは取り替えが効く。フレームでさえ取り替えることが出来るのだから、理論上は寿命はないと言っていい。
しかし、それでも寿命はある。それも三段階に。

第一の寿命

最初の寿命は、パーツ供給が途絶し修理ができなくなった時点で訪れる。自動車メーカーは車体の生産終了からも10年のパーツ供給を義務付けられているが、その期間を過ぎた後にパーツが手に入るかはメーカー次第。機械である以上、故障はパーツさえ入手すれば直すことは出来るが、逆に言えばパーツがなければどうにもならない。したがってパーツが手に入らず修理不能な状態に陥れば、ひとまずはそこで機械としての寿命を迎えたと言っていい。
普通のオーナーはここで手放す。

第二の寿命

純正パーツが手に入らなくなっても、同じような他の機械のパーツを流用できればまだ延命は可能。純正品にこだわるオーナーには受け入れられない手段だが、旧車オーナーの多くはこの手法(と、協力的な整備工場)を駆使して愛車を維持している。
しかしそれもいつか限界を迎える。他パーツの流用も効かない箇所が故障したときが第二の寿命であり、ほぼ全てのオーナーはここに至り維持を諦める。

第三の寿命

しかし機械はあくまで人が作ったものである以上、どこまでも人の手でなんとかすることができる。即ち、ないパーツは作ってしまえばいい。それを続ける限り機械は半永久的に動き続けることができる。
工業製品のパーツを新たに作り起こすのは大変なコストがかかる*1のでごく一部のエンスージアストか圧倒的な資金力がある好事家のみ選択する手段だが、それも長くは続かない。極端に言えば購入するのと同等の金額をかけて修理するか*2と問われて首を縦に振りつづけられる人間はまずいないわけで、一回は無理できたとしても二回三回と続くうちにいつかは金も気力も尽き、そしてそれ以上の維持を諦める。それが最後に訪れる寿命。
結局は「オーナーが維持を諦めた時」が本当の意味での機械の寿命であり、その意味で言えば本来は寿命などないはずの機械はその実殆どが寿命を全うしている、ということもできるのだ。

 

本題。自分の車に寿命が訪れた話

長い長い序文はここまでにして本題に入ると、購入20年目に突入した自分の車はとうとう「第一の寿命」に到達してしまった。
ここ三回の遠出で三回連続のエンスト&レッカー。自動車の信頼性が著しく向上し、エンストなんていう言葉も道端で立ち往生する車も遠い昭和の遺物となった平成の終わりにおいてエンストに次ぐエンスト、レッカーに次ぐレッカー。高速道の路上での立ち往生は直ちに生命の危機に直結するわけで、笑いごとでは済まない。
更に故障個所のパーツはとうの昔に廃番になっていて、修理のためには他の車のパーツで使えそうなものを探さなくてはならない現状。修理できたとしても原付二台分程度の費用は軽くかかってしまう見込みで、普通であれば手放す以外の選択肢はないだろうが、後述の理由により今回だけはコストをかけて走れる状態に治すこととした。
それでもしっかり治らない場合は、これ以上維持することはあきらめざるを得ない。不動車であっても盆栽のように蒐集してガレージに並べて楽しめればそれでいいというお金持ちもいるかもしれないが、車は走らせてなんぼ派の自分にとってはどんなに希少であっても運転できない車は持っている価値がないからだ。

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何度目のドナドナだろうか
しかし、欲しい車がない

 そう遠くない将来に訪れるかもしれない車との別れを見越してその次をどうするか考えた場合に、「買える車で欲しい車」がこの世に一台もないことに気づき愕然とする。
我が家に駐車できるサイズ、即ち全長4m程度で自分が譲れない条件(MTの後輪駆動)を兼ね備えた車は世界広しといえども僅かにロードスターN660エリーゼケイターハムモーガンXBOWくらいしか見当たらない。ロードスターとN660は明らかに今の車よりファントゥドライブ性能が劣るので食指が動かず、その点問題なさそうなエリーゼはアニメチックなデザインが生理的に受け付けず、ケイターハムは実用性が低すぎるので日常で使えず、モーガンとXBOWはとても自分の手の届く価格帯ではない、ということでやはりぴったりくる車が一台もない。だからこそこれまで自分の車を修理を繰り返しながら乗ってきたのだが、それがなくなるとなると代わりに乗るべき車は存在しない。
ということで最近はアグスタやらKTMやらハスクバーナやらの動画を眺める時間が増えた。身体が動くうちに二輪に回帰するのも悪くないかもしれない。

 

*1:廃番となっていたライトカバーのワンオフ製作を試みたが金型作成だけで50万円を見積もられ、急遽同志を募って20人の共同出資という形で漸く実現に漕ぎつけた話を知っている。単純な形状のアクリルパーツ一つ作り起こすのでさえ、大の大人が20人集まって金を出し合わなければ叶わない。大工仕事とは訳が違うのだ

*2:パテックフィリップは自社で販売した時計はどんなに古いモデルであっても修理すると広言しているが、それほど感心する話でも驚嘆すべき話でもない。なぜなら彼らは「リーズナブルに」とは一言も言っていないからだ。そりゃ金に糸目をつけなければ何でもできるでしょ。アンティークの時計を購入して整備に出したら買った時以上の金がかかったというのはアンティークあるあるといっていいほど非常によくある話。

Don't feel, Think.

玄関に我が家の床に合わせた木目タイルを張ることは(自分の中の)流行であったらしい。
家の物を選ぶときに気をつけなくてはいけないのは、自分がこれだと思い描いた型は本当に自分にとって普遍的なものか、それとも単に流行に過ぎないものかを見極めること。これぞと思って採用したものが実は一時の流行に過ぎないものであったとしたら、早晩飽きてしまってその後長く不満足な時を共に過ごすことになる。なので簡単に代えのきかないものこそ牛のように何回も反芻を重ねてそれが本当に自分にとっての定番と成りうるものであるかを見極める必要がある。

自分の例でいえば、第一印象でビビッと来たものは大抵は外れであるというしょうもない法則が大体においてあてはまる。逆に最後に正解として残ったものが初見では大して印象に残らない、これもまたよくある。
一例では、数年前に我が家の一番広い面の壁に左官で塗りなおした鈍色(グレー)の漆喰。実は墨色を塗ることに決めていてその他の色は一顧だにしていなかったのだが、念には念を入れて黒い模造紙を取り寄せ、実際に壁一面に貼って三週間ばかり生活してみたところこれはどうも違うなと。そうしてよくよく考えた結果、当初は墨色の脇で全く印象に残らなかった「鈍色」こそが自分の正解であったと気づいた。こんなことは枚挙に暇がない。

なので、自分自身は己が「直観」というものにあまり信を置いていない。一発で正解を当てる才に恵まれた訳でもない凡夫はそんなあやふやなものを当てにすべきではない。上から見て下から見て表から見て裏から見て、熟考に熟考を重ねたうえで発酵するまでしばらく寝かせておいて、最後に浮き上がった型こそが自分にとって正解なのだ。

二回目の玄関タイル選び

家づくりのイメージを固める方法は人それぞれだろうが、自分の場合はとにかく情報を仕入れて目を肥やすのに努める。そうするうちにやがてイメージがだんだん鮮明にはっきりとしてくる。時間はかかるが、自分の場合は当初描いていたイメージが心の底から引き上げてみると実は全然違う形だったということも珍しくないのでこのプロセスは欠かせない。
回り道せずに一発でイメージを固められればそれに越したことはないが、その才に恵まれていないことは分かっているので、ひたすらうだうだとああでもないこうでもないと時間を積み重ねる。

居候が壊した玄関に再度貼り重ねるタイルについてもそう。タイルの品揃えでは国内で右に出るもののないサンワカンパニー(またの名を施主支給の友)のウェブサイトで膨大なサンプルを延々と眺め、最後に実物を見てイメージを確定させる。
建築資材は出来るだけ実物を見た方がいい。表面の艶や質感、全体の「感じ」などはやはり実物を見るのが一番よく分かる。

今回の玄関のテーマは

ウェブサイトでイメージを練った結果、今回も木目調タイル*1、しかも床のウォルナットと同じような濃褐色タイルをセレクトでほぼ決まり。
床の色と近い色の木目調タイルを貼り込めば、床から一続きのように一体感が生まれて広く見えるのではないかというのがその理由。

最後に念のため実物を確認。前回の玄関タイル張り時に訪れて以来5年半ぶりに、青山から外苑前に移転したサンワカンパニーショールームを訪れる。
いかに広大なショールームとはいえ、扱っているタイル全てのサンプルを展示するのは不可能で展示はごく一部。ただ木目調タイルは売れ線のようで、自分が目をつけていたタイルはおよそ手に取ることが出来た。

 

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ワックスを塗られながら使い込まれた風の艶「パルケ」

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使い込まれてペンキが剥がれた床板をリアルに再現、ワイルドな風合いの「メルヴィン」

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「ヤングギャラリー」は鋸目までリアルに再現。文字通りギャラリーに合いそう

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「ラ・フォレスタ」ダッコとマロン。これは艶が少しタイルっぽい

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焼杉板の表面を再現した「ヤキシダ」は白とグレーと黒の三色

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本命「ヤングギャラリー」マロンは表面の艶感まで超リアル
 
結論

手にっては矯めつ眇めつ、閉店時間まで一時間以上かけて候補のタイルをつぶさに見た結果、木目調タイルはどうも心の底のイメージとは少し違うようだということが判明。タイル自体は非常によくできてはいるのだが、実物を手に取ってみたら何かは分からないが何かが違うと。こういう時は心の声に従うのが正しい。

 

本日の結果

ショールームで現物を確かめた結果、玄関タイル選びは振り出しに戻った。こんなことがあるからやっぱりセンスない人間は物を選ぶのに手間暇を惜しんじゃいけないのよ。
あー危ない危ない

*1:木目調タイル表面はプリントではあるが、欧州の名だたるメーカーで作られているものはその辺の安物と違って木目パターンが何十もあって出来るだけかぶらない様に配慮されている。また表面の艶も絶妙に抑えられており、クォリティは非常に高い。

何かが損なわれてしまったのだ。何かっていうと、玄関が。

久方ぶりに催された施主の集いから遡ること二日前、我が家の居候は調子に乗ってとんでもないことをやらかしていた。

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ビシーッと

居候が玄関に出るのを防止する柵。その柵に張りめぐらされたチェーンから宙に駆け出そうかというように目いっぱい身を乗り出し、挙句に柵を繋ぎとめていた重さ5kgはあるアンティークのガーゴイルを玄関に引きずり落としたのだ。
ジャン・リュック・ゴダールの古い白黒映画の銃声のような音が響き、思わず階下に駆け降りた僕が目にしたのは、無残に割れて転がっている大理石のガーゴイルと、欠けて穴が開き、あまつさえ大きなヒビまで入っている、六年前に自ら貼った大判タイル。

やれやれ。僕は三味線屋に電話した。無論、こんなカタストロフを招いたろくでもない居候に責任を取ってもらうためだ。しかしその時になって初めて僕は、今どきの三味線は犬の皮を使っており猫はお呼びでないということを知った。
「犬?」僕は聞き返した。
「そう、犬。だから猫は要らないの」
受話器の向こうの声は感情をこめずに小さく言った。まるで壁に描かれた大きな文字を読み上げているような声だった。本当に壁にそう書いてあるのかもしれないなと僕は思った。
「お呼びじゃないってさ」そう言って振り返ると、居候は真っ白な画用紙を眺める時のような目つきで僕の顔を眺め、やがて身体を器用に折り曲げて自分の尻をひとしきり舐めるとどこかに行ってしまった。

やれやれ。居候の処分はひとまずペンディングにすることを決めると、改めて玄関に降りてタイルの損傷を確かめる。傷はひどいもので、ここまで深く破壊されてしまってはもうどうしようもない。たぶんこのタイルは割れるべくして割れたのだろうし、もしこのとき割れていなかったとしても、別のどこかで割れていただろう。特に根拠があるわけではないのだが、僕はそんな気がした。

ここまで考えたところで、居候が去った方角から漂ってきた異臭が強引に僕を現実に引き戻す。そのにおいはどこか懐かしいもののように感じられたが、どちらかといえば悪臭の領域に属するものだった。
またウンコかよ。今日二度目だろ。やれやれ。僕はスコップを取った。

かくして、完成9年目にして早くも二度目の玄関リフォーム工事が決定。やれやれ。僕はかぶりを振った。ノーベル賞今年も残念でした)

 

久々の施主の集い

残暑厳しい平成最後の9月初頭、久々に家がらみの来客。言わずと知れた杉茂ことS氏、風樂房のらっきょさんご夫婦、kinocoのHさんにマニハウスのMさんが見えられ、眼下に広がる縁日の屋台などを見ながら大いに飲み(頂いたビールを)かつ食べ(頂いた肴を)などしつつ。

調子よくタダで飲み食いする家主に代わり愛想を振りまくのは居候の仕事。

 

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舐めていい?ねえ舐めていい?と言われてさすがに引いている居候の図

この時点でしこたま酔いが回っていたMさんはほどなくして行方不明となり、やがて階下で死体として発見されるのだが、初めて目にして思わず悲鳴を上げるHさんとあーはいはいという感じで事務的に処理するS氏の対比が面白い。

それはともかく酒に弱い家主が毎回ビールだけで出来上がってしまってその先のお酒に進めない課題は今回も解決できず。次回は初めから複数種類を供するようにしたい。

 

Paint it Black 2018その2

後付けライトアップのスポットライト、電源ケーブルは地下ではなく玄関ポーチのコンセントから地上部を這わせており、したがってそれなりに見苦しい。これを隠すだけのお手軽DIY

 

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こんな感じ

いかにも見苦しいこのケーブルの取り回しを綺麗に片付けるには屋内と同様にモールを用いるが、一般的なプラでは屋外使用では紫外線でバキバキに割れてしまう恐れがある。したがってDIYの味方モノタロウから金属カバーのモールを調達。

 


金属モールは白色しか選択肢がないので、取り寄せた後はおなじみ金属塗料のシュペンパンツァー(チャコールグレー)を塗布。プライマーと塗料で合わせて一日かけ、乾燥を待って二日目に施工。

施工とはいえ実に簡単、長さを合わせグラインダーの刃を当てればカットにかかる時間は僅か三秒。あとは裏面に強力両面テープを貼って(初めからついている両面テープは粘着力が弱いので使えない)モルタルの隅に貼り付けるだけ。

 

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コーナー部分アップ

やはり我が家の外壁と合う色はこれ。白はないな白は