カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

中古オープンハウスをやる意味

猛暑の日曜日の昼下がりにS氏とsatosatoのTさんご一家を迎えた我が家。準備不足で大したおもてなしも出来ず恐縮しきりだが、それも気にせず寛いでいただいた(かな?)のに救われる。

袖触れ合うも何かの縁とは言いつつ、袖触れ合うだけで分かる嫌な奴ってのも世の中には結構いる。しかしこれまでお会いしたS氏の施主はみな飾らない人柄のいい人ばかりで、Tさんご一家もその例に漏れず気さくで気持ちのいい方々であった。どこから探してくるのだろうと思えるほどいい人ばかり顧客になるというのもこれは地味にすごい事で、これはS氏自慢していいかもしれない。まあ例外がここにいるけど。

陽が西に傾く頃にTさんご一家が辞去されると、残ったS氏と新しいビールを次々と開けて煮詰まったおやじ二人の煮え煮えトークがぐだぐだと続く。

「いやー応募がゼロとは思ってなかったなあ結構ブログ見られてるし誰か応募してくれるものとばっかりいや何が良くなかったのかなあ僕は普通だと思ってたけど一般的には普通じゃなかったのかなあこの家にえにえにえにえにえ
「そうですねちょっとこの家はアブノーマルかもしれないでも安心してよくってよ世の中に結構変態っているからにえにえにえにえ
「押し付けられた家を当たり前と思わずにもっと自由に考えようって散々言っていた筈なのに結局それが押し付けになっていたのかもしれない気がしてにえにえにえにえにえ
「いや家を作る立場なんですからこうあるべきって自分の考えを押し出して共感する人がお客になるわけなんでそれが悪いとは思わないって言うか寧ろ主張すべきじゃないですかにえにえにえにえところでどうですかLWHのプラン販売の方は」
「いやそれがねえーーにえにえにえにえにえ

考えてみれば、ピカピカの新築状態であればともかく、生活を始めて数年経つ家を見せて施主に会わせて話を聞かせようというのは、作り手としても結構リスクの高い話。
住んで何年か経てば家は汚れ、傷つき、痛み、不具合の一つ二つ出ていてもおかしくない。
要するに見栄えは劣る。
また完成時はすっかり気分が揚がってアリガトーアリガトーハラショーダンケシェーン連呼状態だった施主も何年か生活する内にすっかり落ち着いて、今や中古となった家について冷静に不満の一つ二つ三つ四つくらい抱えていても何ら不思議はない。下手をすれば逆宣伝になりかねない。
長く生活を送る場として家を考えれば確かに新築オープンハウスより中古オープンハウスの方がよりリアルに参考になるには違いないだろうが、商売の事を考えればやらない方が無難。染み一つない新築ピカピカの家とハッピー全開の施主だけを見せた方がいいに決まっている。
しかしS氏が敢えてそれをやった意味。

過去の作例を見て決めるのもいいが、見学したその家は結局自分の家ではない。畢竟、家を作るのは人につきる、であれば本当に見るべきはその人となり。ビジネスとして決して上策ではないリスクを承知で「中古となった家を見て住人に会って直に話を聞いて下さい」と声を上げる意気、そして反響が芳しくない事に真剣に悩む愚直さ。これらに思うところがあれば、思うままに行動に移してみても多分後悔はしないと思う。少なくとも自分は選択を間違えたとは思っていない。アブノーマルなお前の意見など参考になるかと言う御仁は次回開催マニハウスに足を運び、こちらはぐっとノーマルな(そして施主としてのメインストリームをいく)明るい四人家族の暮らしを見て聞いて判断すればいいんじゃないかと。