カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

形のないものにこそコストを惜しんではいけない話

S氏が最近試みている「お茶会」に参加された方の感想で「有料だから安心して参加できた。無料なら何か売りつけられると思って警戒した」という趣旨のものがあった。
なかなか健全な価値観をお持ちの方が参加したものだと感心する。

タダほど高いものはないという言葉があるが、「安ければ安いほどいい、無料なら最高」という短絡的な評価が当て嵌まるのは既に完成して品質の定まった形あるもの(新築の建売住宅とか新車とかレトルトのカレーとか)のみであって、対価によって姿を変える形のないサービスや情報においては全く当たっていない。
「無料相談会」で得られるアドバイスなどに何ら価値はなく、単にそれに続くセールスへの撒き餌に過ぎない場合が常。それでも参加者は文句を言える立場ではない。なぜなら「タダだから」。対価を払わない者に文句を言う資格はない。*1

 

例えばS氏が無料で相談会を開催したとしよう。無料だから行ってみるか、ということで参加者は増えるかもしれない。しかし元々家作りについて考えていたわけでもない、無料だからという理由で暇つぶし半分で参加しただけの参加者がS氏の顧客となる可能性は相当に低い。しかしS氏はそんな冷やかし参加者にも本気の参加者と同程度のエネルギーを割いて応対しなくてはならず、本気の参加者に向けるべきエネルギーは(質量保存の法則通り)相対的に減少する。したがって「本気の参加者」がS氏の顧客となる確率も相応に低下する。結果として典型的な虻蜂取らずとなったS氏はあまり報われない。

あるいは、S氏が本当に無料で相談に乗りあれこれ提案してくれる相当に奇特な人であったとしよう。そこでいかに「いい情報を手に入れた」と思ってもそれを鵜呑みにして家作りに生かすことが出来るだろうか。自分なら出来ない。なぜならタダ働きには何の責任も発生しないからだ。タダで手に入れた情報が適当であろうと嘘八百であろうと何も文句はいえない。結局は自分でコストをかけ、手間隙かけて裏取りをしその真偽を確認しなくてはいけない。結果としてそれが正しかったとしても、それは最早タダで手に入れた情報ではない。 

我が家を建てた時に資金繰りがどんなに厳しくても設計監督費用の値切りだけは禁じ手にしていたのは何も自分の人格が高潔だったからではない。安く買い叩いた仕事に手を抜かれ(しかも叩いたのが自分である以上それに文句を言う権利もない)、一生に一度建てる家が安かろう悪かろうなものになることを恐れたからだ。

 

ということでS氏の始めた一見怪しげな「お茶会」、有料である以上は逆に健全であると考えて安心して参加していいだろう。これが無料でどうぞー何ならお茶も奢りますよーなどと言いはじめたら眉を唾でベチョベチョにしてかかるべし。笑 

 

 

*1:何かの記念品無料配布情報を聞きつけて開店前の店先に長蛇の列を作り、配布品が足りなくなり手に入れられなかったりすると逆上して責任を取れと店に詰め寄る輩、それに対し平謝りの店という構図を目にすることがたまにあるが、いかにも日本らしい光景だと思う。タダであげようとあげまいと幾つ配ろうとそれは完全に店の勝手であり、その行為に何ら責任を求められる筋合いはない。