カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

好きか嫌いかの家づくり

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三連休の週末に家づくりのウェブメディアhouzzの取材。
ウェブメディアの取材はこれで二回目か三回目か、「都心の家」「小さな家」「単身者の家」の全てを兼ねる家はまだまだ珍しいものであるらしく、偶にこのような機会がある。

なぜ(単身者なのに)家を建てたのか、なぜこのような家を建てようと思ったのか。
これこれこういう計算でこうしました、と誰もが納得し膝を打つような見栄えのいい答えがあればよかったのだが、全くそうではなかったので余り記事として面白いものにはならないのではないかと思う。だが本当のことなので仕方ない。有り体に言えば偶然その気になった時に偶然気に入った出物(土地)があって、偶然それを実現できるパートナー(S氏)がいたというだけの話なのだ。
ただはっきりしているのは、我が家は単純に自分の「好き」を追求して作り上げた極めてパーソナルかつエモーショナルなものであって、決して冷徹な損得計算の産物ではないということ。損しないように損しないようにという気持ちが先に立つのでは納得のいく家づくりなど出来ない。なぜなら損しない家づくり=資産として流動性が高く換金が容易な家づくりとは世間一般の最大公約数を追い求めることに他ならず、そしてそれが自分の「好き」が一致することなどそうそうないからだ。

ミニマリスト界隈で有名な買い物の極意として
「買う理由が値段なら買うな、買わない理由が値段なら買え」
という文句があるが、自分はこれに

損得で選ぶな、好き嫌いで選べ

を加えたい*1。大事なもの、高価なものであるほどだ。
何となれば嫌いなものはいつまで経っても好きに転じることはなく、損得勘定でそれを我慢するのは人間の感情に反する。自然な感情を我慢し続ける心にはじわりと歪みが生じるし、生きる上で歪みなどないに越したことはないからだ。買い物でも人間関係でも損か得かで判断する人生などつまらない。

とはいえ現代社会で人間が生きる上で金が必要不可欠なものである以上、好き嫌いで家を買うことにより発生するリスクを負えるかは冷静に判断しなければならない。
ローン返済で行き詰るリスクが少なからずあってその際には家を売却して清算するつもりの人、年を取ったら家を売却して老後資金に充てるつもりの人、あるいは何年か住んだら売却して売却資金を元手に住み替えるつもりの人が流動性が低く将来の資産価値が見込めない家、例えば都心から電車で90分、さらにバスと徒歩で30分の地に35年ローンで豪邸を建てることなど、幾らそれが「好き」であったとしても恐らく正解ではない。家づくりで「好き」を貫くには裏付けとなる金が必要で、それが覚束ないのであれば「好き」は諦めて損得勘定で家を選ぶか、家自体を圧縮して「好き」を実現する予算を抑えるかしかない。
その冷酷な現実を前に、資産家ならざる自分は後者を選んだ。そういうわけで。

 

*1:結局同じことを言っているのに過ぎないのだが。