カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

「小さな家」を建てるとは

マニハウスの夜にビールを飲みつつS氏と交わした会話。


「その後どうですか。新しいLWHの方は」

「あーそうですね、問合わせは多いんですけどねー。」
「なかなか成約に結びつかないんですよ。」

「そうですか残念ですね。早くLWHの三号を見てみたいですけど」

「何か…」

「は」

「何かLWHのNo.1とNo.2が…揃ってちょっと普通じゃない感じでしょう。なので…」
「みんな『あそこまでやらなきゃいけないのか』って思ってしまうみたいで…引いてしまうんですよ。」

え、ええええええーっ


S氏が言う「普通でない」というのは、LWH001の施主Yさんが家の調度品を、それこそトイレットペーパーホルダーの一つに至るまでこだわって徹底的に吟味して選ばれていたり、自分が壁を塗ったりタイルを貼ったりしていた事を指しているようだ。
で、「そこまでこだわらなければいけないのか」と思われてしまうと。
引くのか。そうか。


クリームソーダ大好き

言うまでもない事だが、家づくりに共通解はない。
「こうしなければならない」という事など何もない。
自分にとってどうでもいい事に無理にこだわる必要など少しもないし、細かいところは建築事務所のセンスを信じて全てお任せにしたとしても、それで満足できるのであれば正解だろう※1。自分にしたところで、この家がもう少し広ければ、もう少し体力がなかったら、あるいはもう少し資金が潤沢だったなら、壁塗りやタイル貼りを自ら手がけるという選択肢は選ばなかったかも知れない。いたずらにハードルを高くする事はない。

それも含めて、自分で考えるという事。
本当はルールがあった方が楽なのだ。
平米数や部屋数といった数値の大きさで幸福度を測る既存の価値観に巻かれてしまえば、これもまた楽なのだ。考えなくても済むから。
そこから逸脱して「自分が本当に求めるものは何か」を考えるところから小さな家づくりは始まる。

「小さな家」を作るのにルールはないが、強いて言えば、受身ではなく自ら参画する姿勢が求められる。
これは自分であれこれ設備調度を選んだり、セルフビルドを行ったりする事を意味するのではない。
そうではなくて、自分がどういう暮らしをしたいのか、何を選び何を捨てるのかを明確にして家づくりに臨む事を意味している。
大きな家ならば「何となく」で建ててしまっても何とかなるが、「小さな家」はバッファがないだけに、薄ぼんやりと出来上がってしまったらもう取り返しがつかない。フォーカスを絞り込む事が肝要だ。

分かってはいるのだが、何となくイメージはあるのだが、うまく言い現せない。形にできない。
そういう人の為に建築事務所はある。


あーマニハウスの夜で思い出した、そういえばあの時「また暑気払いやります」なんて言って結局出来ずじまいだったなー。寒気払いなんてどうかなー。なんて

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※1 だからこそ自分のセンスにあった建築事務所を選ぶのが重要だったりする。