カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

小さいは安いけど安くない

山岸凉子の「ケセラン・パサラン」は風水マニアである主人公が紆余曲折しながら家を建てるまでを描いた話だが、その中の主人公の台詞で
「たとえ受注する立場でもモノ作りの人間には譲れない点というものがあって、それを否定されてしまうとモチベーションがガタ落ちになる」
といった内容のものがある。
劇中では主人公が当初設計を頼んだ建築設計事務所にとっての「黒い外壁」がそれにあたるらしく、「白い家」を夢見ていた主人公はその為に深く悩む事になるのだが、モノ作りを生業とする身でなくとも仕事にはモチベーションを決定的に損なうポイントが存在するであろう事は想像がつく。
それがどこにあるかは人それぞれだろうが、自分が気をつけていたのは「仕事を値切らない事」。
予算をオーバーした当初の見積もりの調整は確かに依頼した。しかしそれは建材や調達方法や家の大きさといたフィジカルな部分でコストダウンするのに知恵を絞って欲しいという事であって、家づくりに携わる人々が手を動かす仕事そのものの対価を値切る事を望んだのではない。プロの仕事を値切るのは礼を失した行為だし、値切られた側のモチベーションもがっくりと落ちてしまうのではないだろうか。
当たり前の事を書いているようだが、とにかく安くあげたい施主の中にはなりふり構わず下品な(と言い換えてもいい)値切りに走る人がいて、そしてそのような施主との仕事では高い確率でトラブルが発生し、利幅はしょぼいわトラブるわといった目に遭った工務店はもう懲り懲り、まともなところほどもう二度と所謂「小さな注文住宅」の仕事は受けなくなり、その結果優良な工務店の選択の幅がどんどん狭まる…という問題を耳にする事がある。
目先の数十万円を惜しんで皆に嫌な思いをさせ、挙句いい家が出来なかったらそれこそ本末転倒だと思うのだが(そういう人は自分が心臓手術を受ける事になっても出来れば値切りたいのだろうか)、これはメディアの報じ方にも問題があるように思う。前回のエントリでも書いたが、安い安いお洒落お洒落って強調しまくれば中には過度な期待を抱く施主も出てくるだろう。我が身を省みても、実際に家づくりに首を突っ込むまではそのような誤解がなかった訳ではないからよく分かる。
そんなつまらない事で「小さな家」を建てるのが難しい世の中になってしまうのは由々しき問題。施主の幻想とそれによるトラブルを未然に防ぐ為に、及ばずながらこのブログでも強調しておこう。


「小さな家は安くないよ!ていうか坪単価ではびっくりするほど高いよ!※1 オーダーメイドを吊るしと比較して高いの安いの言うのは野暮天のやる事だよ!」


以上(笑)

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※1 家の広さが半分になってもキッチン風呂トイレその他什器類が半額になる訳ではないし、作業する量は少なくなっても工程そのものは変わらない。設計監理料も最低価格が決められておりそれ以上は安くならない。なので小さい家ほど割高になるのは考えてみれば当然の成り行き。建売が安いのは量販店のスーツが安いのと同じ理屈。完成に至るまでの工程が全く違う。