カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

セミリタイアを目指す後半戦(3)

不自由なく生きていける最低限度の生活コストを見込んだところで、次にリタイアメントの段階を想定する。

  1. 自己資金を取り崩しながらのんびり生きる
  2. 自己資金を運用し、運用益で生計を立てのんびり生きる
  3. 自己資金を運用し、または取り崩し、毎月の生活コストに不足する分はたまのバイト程度の強度の低い労働で得られる収入で補ってのんびり生きる
  4. 自己資金を運用し、または取り崩し、毎月の生活コストに不足する分はパートタイム労働で得られる収入で補ってそこそこのんびり生きる
  5. 強度の低いフルタイム労働で最低限の生活コストを確保し、そこそこのんびり生きる
  6. 強度の高いフルタイム労働で得られる収入を運用に回し上位(3・4)へのクラスチェンジを目指しつつ気持ちだけはのんびり生きる

文字通りのフルリタイア、昨今の言葉で言えばFIREにあたるのは1か2。運用するまでもなく一生遊んで暮らせるレベルの1、運用益で十分生きていける2はもちろん夢のような生活ではあるが、これを実現するには軽く9桁に届く資金は必要となるし、一介のサラリーマンが徒手空拳から小さいながらも家を建ててその借金を完済し、かつそれだけの資金を用意するなどどう考えても直列では無理。超高給であるか、もしくは直列ではなく並列、つまり自分に商才や投資の才でもあったなら可能であったかもしれないが、今更ないものねだりをしても仕方がない。

少し現実的に考えれば3と4、これが所謂セミリタイア。完全に働かない訳ではないが、生活の為に最低限だけ働いてあとは膨大な自由時間を好きに過ごす。週一回程度のバイトでもすれば十分補えるのが3で、週三日程度パートタイマーとして働けば十分補えるのが4。これも手持ち資金が覚束ない現実は如何ともしがたく、今の自分にはまだ遠すぎる。

そうすると現実的に選択できるのは5か6、5は広義でのセミリタイアに該当しなくもないが、6はリタイアは勿論セミリタイアにも該当しない、言うなれば心情的セミリタイア。強い上昇志向とともにガリガリ働くのではなく、心身にストレスを掛けないことを第一にちんたら働く。5では収入は最低限、だが一話完結の仕事で後を引かず、定刻できっちり上がれるので拘束時間は最低限。6はその逆でまだ収入を重視し拘束時間の長さには目を瞑る。

毎日16時間の自由時間を確保できる5は魅力的なクラスではあるが、手持ち資金は減ることはなくとも増えることもないので4以上へのクラスチェンジは望めない。6を選択すれば生活様式はこれまでとほぼ変わりないが、少しずつでも手持ち資金は増やせるので4以上を実現する可能性はまだある。

自分の年齢で再就職を果たせるのは強いコネがある、もしくは余程スーパーな実績がある人物に限られる。しかし収入を問わないのであれば話は別。コネもなくスーパーリーマンでもない自分は成り行きにまかせ5を選んでのんびり暮らそうかと思っていたところが、幸か不幸か採用が決まり6でしばらく続行というソフトランディングと相成った。しかしうまい具合にこれまでに比べ格段に責任も負担も軽い立場であり、手は抜かずとも気は抜いてノーストレスに近い働き方が出来るので願ったり叶ったり。まだ体力があるうちはしばらくはこのまま心情的セミリタイアで働き続け、数年経っていよいよ身体がきつくなれば無理せず(ボロボロになるまで働く意味って何さ)5に移行、あわよくば3か4を目指すのを今後しばらくの人生の方針とした。

傍から見ればこれまでと何ら変わりない生活に見えるかもしれないが、自分自身の内面においては大きくシフトチェンジ。失われた「毎日が日曜日」な日々への回帰を目指す、これが後半戦の第一歩。