カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

はてブロ10周年記念グッズ獲得チャレンジ(2)「私が◯◯にハマる10の理由」

続いて行ってみよう。何か面倒くさいお題だなあ、そもそも人が何かにハマるのは理由が先に立つものではなく(理由があってハマるのは仕事だ)、無性に惹かれるものがまずあって後にして思えばこういう理由があてはめられるのかも、ということなのではないだろうか。*1だからそういう観点で語れと?あーはいはい。まあ10も理由を語れるか分からないが、(一応)家ブログとしてはやはり

 

私が小さな一戸建て暮らしにハマる10の理由

でやってみようかと。では以下

 

1.確実に目に見える資産だから

なぜ共同住宅でなく戸建てにしたのかという話。大枚叩いて我が家を購入するのであれば、確実に「これ」と目に見える形で手に入れたかったが、共同住宅であればそうはいかない。共同住宅を購入するとは「建物の定められた部屋に住む権利」を買うことであって、ドア一枚窓ガラス一枚として「自分の物」ではない。建物が立っている土地も購入費用には含まれている(借地権物件を除き)筈だが、それとて目に見えない権利であることに変わりはなく「ここからここまでが自分の土地」として見ることなど当然できない。

その点一戸建てであれば単純明快、杭が打たれた境界内はすべて自分の土地、その中にあるものは葉っぱの一枚まで自分の資産。地震で建物が崩れようと、土地がなくなることはない。そういう分かりやすさを求めたのが理由の一つ

 

2.「自分の家」として確かめられるから

今でも表の落ち葉を掃いた際に夜空を背景に佇む我が家のシルエットをしげしげと眺めることがある。それは紛れもなく「我が家」の形であり、眺めるたびに「我が家」であることの幸せを噛み締めるのだ。気持ち悪いとかいうな

 

3.車とバイクを手元に置けるから

駐車場100%完備の共同住宅はまずなく、ごく一部の幸運な住人を除き殆どの住人は自宅と離れた場所に駐車場を借りることになる。自分としてはそれはない。折角家を買ったのに賃貸暮らしと変わらない付き合い方しかできないのはあり得ない。ドアを開けて目の前にある車を乗り出すたびに「我が家」であることの幸せを(略)

 

4.駐車場代を払わなくて済むから

山手線内に位置する我が家、駐車場を別途借りるのであれば青空駐車でも3万円は下らず、耐候性ゼロにつき屋根付き駐車場必須の我が車であれば4-5万円程度は予算を見なければならないだろう。同様に屋根付きバイク駐車場は1.5万円(これは7月まで実際に借りていたので明白)、合計で毎月7万円から9万円は駐車場代として払い続けなければならない。誰が払うかそんな金。山手線の内側にタダで車一台にバイク2台を風雨から守って保管し続けていることを意識する度に「我が家」であることの(略)

 

5.外出がお手軽だから

共同住宅であれば玄関を出て廊下を歩きエレベーターを待ちエレベーターに乗り、1階についたら広いロビーを抜け広い敷地を横切って漸く表に出ることが出来る。タワマンであれば朝の混雑時はエレベーターが各階に止まったり満員で乗れないことすらあったりして、外に出るまでに優に10分近くかかるというのも良く聞く話。一戸建てであれば外出は比較にならないほどお手軽、我が家の場合はドアを出て6歩目でもう公道だ。玄関開けたら2分でご飯、ならぬ玄関開けたら6歩で公道。朝寝坊して慌てて家を駆けだす度に「我が家」であるこ(しつこい)

 

6.利便性最高の都心に住めるから

ここからは「小さな我が家」であることの悦楽を述べる。バブル期に比べれば地価は数分の一まで下落したとはいえ、やはり都心に近づくにつれ地価は普通のサラリーマンが入手するには非現実的なまでに高騰することに変わりはない。一般人が標準的なサイズの土地に標準的な家を建てようとするのであればやはりターゲットを郊外に移すか裕福な親からの少なからざる援助でも期待する他はなく、徒手空拳の身で利便性の高い都心部に家を買おうとするのであれば余程の高収入を得るしかない。だがごく小さな土地にごく小さな家を建てるのであれば、自分のように何の変哲もないサラリーマンでも山手線の内側に家を持つことは可能なのだ。リモートワークの普及で利便性のアドバンテージは幾分薄れたとはいえ、自転車通勤も(気合を入れれば)徒歩通勤も可能で都内の大抵の美術館に一時間以内でアクセス可能、利用したことはないが救急車もすぐに駆け付けられるという利便性による恩恵はやはり絶大なものがある。悠々自適の暮らしなら田舎の海の見える丘にゆったり暮らすのもいいが、何のかの言っても働かなければ生きていけない身には(そして遠路はるばる都内の展示会まで足を運ぶこともないだろう出不精な性格には)都会暮らしが一番であろうし、それが実現できたのは小さな家であるからだ。あー小さな家でよかった。

 

7.借金を最低限に抑えられるから

これはS氏がLWHの理念でも述べられていることだが、小さな土地に小さな家イコール家を手に入れる費用を最低限に抑えられることを意味する。いくら我が家の暮らしが快適であるからといって借金の返済に充てることに残りの人生の全てが制約されてしまうのでは人生の楽しみは半減してしまうし、そんな足枷は少しでも軽いに越したことはない。自分がこの地に普通の家を建てていたならば未だに借金完済の道のりは遠く、それがためにセミリタイアも叶わずにストレスを貯め込みながら相も変わらない馬車馬生活を続けているに違いない。あー小さな家で(略)

 

8.コストを気にせず好きな部材を用いられるから

我が家の床板は全面ウォルナットで、それも廉価版のアジアンや乱尺ではなく15cm幅の定尺のアメリカンブラックウォルナットであるからそれなりに値は張る。恐らく二番目に贅沢な箇所であろうが(一番の贅沢は杭基礎)、僅かに50㎡の床面積では単価の高さもそれほど全体コストに響かない。これが広々とした家であったならば自分の気に入った木を全面に張ることなど到底叶わず、半分くらいはコスト重視で妥協した床選びを強いられたことだろう。あー小さな(略)

 

9.家づくりに参加できるから

大阪城を建てたのは誰?」「豊臣秀吉!」「ブー!大工さんでしたー」という子供の頃に流行った屁理屈を引き合いに出すまでもなく、我が家を建てたのは幹建設の大工さん(および幹建設の手配した基礎屋さんに壁屋さんに電気屋さん)であることは疑いのない事実。しかし我が家の内装の多くは自分で手掛けていて、言い換えれば豊臣秀吉とは違って自分も家づくりの一割くらいは実際に参加したということになる。それが出来たのも我が家が自分一人でも何とかできるサイズであったから。これが広々とした家であったならば自分のような素人には到底手に負えず、家づくりの醍醐味を少しも味わうことなく与えられたがままの素うどんの家に住み続けていたに違いない。あー(しつこいって)

 

10.物に真剣に向き合う暮らしが出来るから

日本の軽自動車がそのサイズからは想像もつかないほど快適で便利なのは、排気量660cc以下で長さ3.4m以下、幅1.48m以下で高さ2.0m以下という制約の中で各メーカーが知恵を凝らして工夫を重ねたからだ。無自覚に車を作ったのであれば外観通りのただの狭っ苦しい車であったことだろう。
小さな家に快適に住むのはこれに似て、もともと小さく狭い家に無自覚に暮らすのであれば忽ち家は雑然とした物置きと化して到底快適な生活など叶わない。小さな家に気持ちよく暮らしたいのであれば必然的に持ち物は最小限のものでなければならないし、そこに至るには吟味を重ねてお眼鏡に叶ったものだけ家にあることを許すというプロセスが必然的に伴う。何となく買ったものを何となく置いている余裕などないのだ。
かくして、小さな家に暮らすということは必然的にお気に入りのものに囲まれて暮らすことと同義となる。これにハマらない筈がないではないか。

 

 

と、ここまでうんうん唸りながら漸く理由を絞り出して気が付いたがもうキャンペーン期間が終了してるじゃないか!ムキー!でも折角苦労して書いたのに没にするのはもったいないから一応エントリ(ポチー)

*1:君の上を向いた鼻が好きだよという男がいたとして、別に鼻が上を向いている女性を探し回っていたわけではあるまい。