山梨は甲州市の山奥深く、白沢峠と呼ばれるところにどこから来たのか謎の廃トラックがあると噂に聞き、なかなかにエモい様子の画像など目にするにつけ、これは是非この目で確かめに行かねばと捜索に乗り出した11月の週末。
誰かが登録したらしきGoogleマップ地点登録を目がけて中央高速を走ること二時間半、勝沼ICから甲州市に入り、郊外の山岳地帯へ突き進む。分岐する度に細くなる道はやがてアスファルトから砂利混じりの未舗装路になり、さらにとんでもないガレ場と化す。オフ車でもない自分のバイクはパンクを心配しながら慎重に登っていくが、数km進んだところで唐突に表れる車両通行止めの柵で車両通行路が終了するとほぼ同時にスマホGPSも圏外に。
バイクを乗り捨てると、もとい、サイドスタンドがめり込んで転倒しないように注意深く駐車すると、ニコンだけを手に柵の脇を乗り越えてさらに先に進む。GPSが使えないここから先の捜索はほぼ勘に頼るしかない。
柵を越えて暫くは環境整備のための車が通行するらしい歩きやすい道が続くが、やがて獣道のような幅の道が消えたり現れたり。
橋が架かっている。ということはその先に道が続いている。ということで、山中に無数に流れる沢にかかる橋を見つけるたびに駆け寄って渡りその先に進むことを繰り返す。今にも崩れ落ちそうなこんな橋を4つ渡るのが到達までの道標。
あそこにもないここにもないと落ち葉で埋め尽くされた冬枯れの森を彷徨うことおよそ一時間弱、釣瓶落としの秋の陽が西の稜線に沈もうとするタイムリミット直前、枯れ枝を掴みながらよじ登った斜面から見渡せる谷にそれは唐突に表れた。
調べによるとこのボンネットトラックはダッジのもので、占領軍の米軍が使用していた軍用トラックが民間に払い下げられたものらしい。というと少なくとも製造から80年は経っていることになる。
その後いつ誰がどのようにこんな山奥に遺棄したのかは一切謎に包まれているだが、昔はこの峠にもこんな小型トラックが通れる程度の道は通っていたのだろう。
タイムリミット直前に到達しただけあって、ちょうどいい塩梅に沈む夕陽をバックに大変にエモい風景を記録に収めることが出来た。
人里の中でこんな廃車がいつまでも放置されていることはあり得ず、GPSも届かない山奥だからこそ撤去されることも不逞の輩に放火されることもなく、誰にも知られることなく何万もの夜を過ごしながら静かに朽ちていったのに違いないこの廃トラック。完全に土に還るまであと何年こうやって一人で過ごすのだろう。と、米国で生まれ太平洋を越え日本にやって来て、誰にも看取られることなく今まさに朽ち果てようとしているこのトラックの辿った数奇な運命にしばし思いを馳せながらその場を後にする。また来ることはあるのだろうか・・
というか秋の陽は釣瓶落としとはこのことかと身に染みて思い知ったのが帰路。あっという間に日が落ちてしまった山中に街灯などあるわけもなく、スマホのライトなど何の役にも立たない中を危うく遭難しかかりながら何とかバイクに帰り着いた時には完全に真っ暗闇。危ねえ危ねえ