カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

遍路あれこれ

立ち寄った土産屋のおやじの弁によればコロナ禍の影響により平年よりかなり遍路者は少なかったらしいのだが、それでも遍路の過程で多様な種類の遍路を見かけた。

  • 歩き遍路
    遍路の王道は勿論1200㎞を踏破する歩き遍路に違いないが、普通の社会人に一か月半もの休みはなかなか取得できるものではなく*1、したがって殆どの歩き遍路は区切り打ち(何回かに分けて遍路を回ること)で結願を目指すことになるのだが、それには何年間もの時間がかかり、かつ求められる費用も馬鹿にならない*2。通し打ちしたとしても食費と宿泊費で一日1万円かかるとすれば45万円は必要となる計算であり、肉体的には勿論、時間的にも費用的にも最も負担が大きいのが歩き遍路。それだけに結願の達成感は感無量である筈。自分としてもいつかは歩き遍路で再び遍路結願を目指したい。

  • 自転車遍路
    歩き遍路に次いで過酷だが歩き遍路より幾分スピーディに回れる交通手段が自転車。歩き遍路のおよそ三倍以上の速度で移動することが可能であれば、頑張れば半月での結願も可能だろう。今回はロードバイクで回る遍路を三人ほど見かけた。

  • バイク遍路
    バイク遍路は社会人が無理なく取りうる長期休暇(8-9日間)という短期での通し打ち結願を可能とするスピードと本来は過酷な巡礼の旅路に相応しいストイシズムを併せ持つ、多忙な社会人にとって最も理想的な遍路の手段であるかもしれない、とは今回の経験を通じての感想。しかし平地はともかく山道は舗装されていても道は例外なく荒れていて路上は様々な落下物で溢れ、「半径5mで斜度30度、しかも道幅3mでおまけに非一方通行」が延々と続く悪夢のようなステージ*3や、転倒したら引き起こしのために踏ん張ることもままならないようなガレ場が延々と続く過酷な道程を含むことを考えれば足つきの悪い重量級アドベンチャーや悪路に全く向かないSSはお勧めできないし、何かあっても救急車も辿り着けなさそうな道も少なくなければリスクはそれなりにある。
    道中ではカブ遍路とベスパ遍路の二台を見かけ、その内ベスパ遍路とは行く先々の寺で何度となく顔を合わせ、いつか他愛もないその場限りの会話を交わすようになった。一日に二度も擦れ違って互いに思わず笑いながら手を振ったのは良き思い出。

  • 車遍路
    バイクに劣らないスピードとバイクにない快適性と安全性を併せ持ち、車中泊も可能であれば通し打ちには最も適した手段であることに疑いはないが、安楽で快適すぎるところが少し物足りない。また車といってもスポーツカーでは(車をボロボロにする覚悟がなければ)無理だし大型SUVも狭隘な道ではかなり苦しい。遍路最強は四駆の軽自動車だろう。
    車遍路は様々な車種で無数に見かけたが、白衣を纏う気合いの入ったドライバーは皆無であったところからも通し打ちに挑む覚悟を背負った車遍路がその中にいたかは定かでない。

  • バス遍路
    遍路ツアーに申し込み大型の観光バスで回るバス遍路も何組か回っていて、到着した寺でどやどやとした団体遍路を見る度に彼らに先を越されないよう(本来の順番では最後である)納経所に先に飛び込んで納経の待ち時間による長大なタイムロスのリスクを回避するのが常だった。
    こちらは車遍路と対照的に皆一様に汚れのない綺麗な白衣を身に纏い、これは恐らくツアー開始時にツアコンから供給されるものなのだろう。気の合う仲間との観光を兼ねた遍路ツアーは楽しい旅であるに違いないが、回れる札所は平地にある寺に限られ(物理的に絶対にバスでは辿り着けない寺がおよそ三分の一はある)、団体旅行のスケジュールであれば一週間のツアーであっても回れる寺はせいぜい二十か所かそこらであろうことを考えるとこちらは初めから結願を目的としたものでなく、あくまでライト遍路といったところ。もちろん巡礼のストイックさとは無縁。

  • タクシー遍路
    歩くのも大儀そうな爺さんとなぜか行く先々の寺で出くわすことがあり、車遍路にしても速すぎると不思議に思っていたところ、何か所目かの寺の自分と共に並んだ納経所で「タクシーで回っていてね」と話していたのを耳にし、そういえば駐車場にいつも同じようなタクシーが運転手付きで停まっていたことを思い出して合点がいった。金に糸目をつけなければ通し打ち結願も可能であろうタクシー遍路はお大尽遍路の最たるものだが、免許証も返上し歩いて回る体力もないのであれば確かに手段はこれしかなかろう。

 

高速道路走行が可能なバイク遍路であれば、前回の記事通りの順路で回れば誰でも9日以内に八十八箇所を回り切ることができる筈。しかしそれにはストイシズムに楽しみを見いだせることという条件が付く。

四国に見どころは多いが、9日以内の遍路結願と観光は両立しない。自分の場合も道中で寄り道をしたのはたったの三回、その内の二回は札所である寺の眼前にある岬*4に暫し立ち寄ったに過ぎず、純粋な寄り道と言えるのは四万十川にかかる佐田の沈下橋まで足を延ばした一回のみ。納経所が閉まる17時のタイムアップまでただ無心で次の札所を目指し移動するのが殆どでトイレタイムと給油時以外は休憩時間もなし、もちろん昼食など取っている暇はないので先々の郷土料理に舌鼓を打つこともない。朝七時の寺の開門に合わせて宿を発つので宿の朝食提供が始まる前にチェックアウトしなければならず、したがって宿は素泊まりで、日が昇る前には起床して前日にスーパーやコンビニで買っておいた簡単な食事を手早く済ませて宿を発つ。道中連絡した友人に「大学生でももっとマシな旅をしている」と呆れられたおよそ観光旅行には程遠いこのストイックさに耐えられなければ8、9日間での結願は覚束ない。それが苦にならないのであれば、88ページ揃った納経帳はあなたのものだ。

 

遍路からの戻りを満開のクリスマスローズがお出迎え




*1:実際、旅路で見かけた歩き遍路はその多くが定年生活と思しき老人ばかり

*2:何せ東京からであれば往復の旅費だけで5万円にも上る

*3:バイクがその特性上最も苦手とする極低速での転回を強いられる。いつ目の前に対向車が飛び出してくるか分からなければ、スピードを上げて安定性を増すこともままならない

*4:最御埼寺のついでにその目の前にある室戸岬金剛福寺のついでにその目の前に広がる足摺岬