カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

越南縦断(3)3月3日 フエ1

フエ概略

北のハノイと南のホーチミンの間、南北に細長く伸びた国土の丁度中間ほどに位置するフエHueは漢字名「順*1(トゥアンホア)」の「ホア」が変化して定着した名前と言われている。

この街については数々のベトナム戦争映画で登場する戦場の一つ程度の知識しか持っていなかったが、現在は人口35万人ほどの一地方都市に過ぎないこの街はベトナムのみならずアジア近現代史の中でも重要な意味を持つ古都であることをこの国に訪れる前の予習で知った。

14世紀 陳朝により順化設置
1801年 嘉隆帝が阮朝を樹立
1805年 阮朝、首都を順化に定める
1841年 フランスとの最初の武力衝突(ダナンの戦い)
1858年 フランスの武力侵攻開始(コーチシナ戦争)
1884年 順化陥落、第二次フエ条約により全土がフランス支配下に置かれる
    (仏領インドシナ

1945年   3月9日  日本陸軍による仏領インドシナ制圧、仏軍の降伏
    3月11日 皇帝バオ・ダイはフランスからの独立を宣言(ベトナム帝国)
    8月15日 日本の降伏により太平洋戦争終結
    8月30日 社会主義革命(八月革命)によりベトナム民主共和国設立

           順化皇宮で皇帝バオ・ダイの退位宣言、 阮朝滅亡

 

阮朝の滅亡とともにその王朝が存在したフエも歴史の表舞台から退場することとなったのだが、それまでのおよそ一世紀半に渡りフエは紛れもないベトナムの首都であった。
ベトナム全土を統一した阮朝はその歴史の過程で国号「越南」を「大南」に改め、更に「中国」と称してラオスミャンマーカンボジアなど周辺諸国に対し宗主国として振る舞っていた。本家の中国とは対等な兄弟国であるとし、中華思想ではこの世にただ一人にしか許されない筈の皇帝を自称していたのもその思想の現れ*2で、フエはベトナム阮朝の首都であったのみならず、ベトナムが東南アジアの盟主、ミニ中国であった時代の世界都市でもあった訳だ。

 

フエ半日ツアー

というわけ嫌が応にも期待は高ったものだが、とはいえ、夜行列車から降り立ったフエの街に京都や奈良のような古都の風情は皆無でいささか拍子抜け。そのような目的であれば断然ホイアンを訪れるべきであることは知っていたが、何しろ旧首都なのだからホイアンほどではないにせよ少しは当時の街並みが残っている筈という期待は見事に裏切られることとなった。まあそれはそれで、フエにはホイアンのような世界遺産の旧市街はないかもしれないが、代わりに世界遺産阮朝皇宮がある。この二つが揃っていれば言うことはないのだが。

皇宮からおよそ徒歩20分のホテル前の通り

ホテルの部屋からの眺め。TAKOYAKI屋が向かいに見える

フエの駅からホテルに直行し荷を解くと早速外をぶらつく。阮朝の皇宮跡を訪れるのは翌日に回し、今日は夜行列車の中で手配したバイクタクシーで半日かけて街中から郊外を回る予定だ。フエの見どころは多いが歩いて回るには広すぎる。その都度バイクタクシーと値段交渉するのも面倒なので、Booking.com利用者特典の比較的リーズナブルな半日バイクタクシーツアーチケットを購入しておいたのだ。
予約時間までには間があるのでまずは朝食を摂ることとする。適当に歩いた通りの角で地元民で比較的賑わっている食堂に入った。ここでもやはりフォーを頼む。

 

街角のフォー屋の奥の席に座る

フォーの他は無料で付く付け合わせ

 

鶏肉のフォーで腹を満たして表に出ると、いつものようにバイクタクシーの運転手がしつこく声をかけてくる。彼らが盛んに売り込んでくる内容は既に自分が予約した半日ツアーと同じようなものだが、やはりというか値段は実に正規料金の4倍5倍もの料金で吹っかけてくるので苦笑する。日本人観光客が「この人はおすすめです!」と書き込んだノートなど見せてきて信用できるガイドであることをしきりにアピールするのも定石通りだが、もちろんその裏を知っている自分がその手に心動かされることなどない。とにかくタクシーは間に合っているのだ。「自ら売り込んでくるものにろくなものはない」というぼったくりの法則は日本の繁華街でも海外の観光地においても変わらず万国共通に通用する法則の一つだ。

この国で何度か入ることになるハイランドカフェで冷たい飲み物を飲んで一息ついていると、ややあって予約したバイクタクシーがやってくる。簡単に確認を済ませると、手渡されたヘルメットを被り後部座席に跨って出発する。

 

 

 www.youtube.com

 

*1:ベトナムで漢字が完全に廃止されるのは1975年、意外に最近まで漢字が使われていた

*2:しかし本家の中国(清)に対してはあくまで彼らの支配下である「大南国国王」と称し、面と向かって対抗する姿勢は見せなかった。