Who's to blame?
現代の日本において最も商売上手な名高い建築家の一人である隈研吾が手掛けた那珂川町の馬頭広重美術館が築後23年でボロボロになっているという話。
那珂川町なら都内からは日帰り圏内。こういう話を聞くと検証しに行きたくなる野次馬根性がむくむくと頭をもたげ、残暑厳しい9月初めに那珂川町まで足を運ぶ。
この日も最高気温は摂氏35度に達し、このような炎天下では走るサウナと化す車での移動はとても耐えられず、全身フルメッシュの空冷装備でバイクで出動*1。風を受けていさえすれば何とかなる・・

自分のようにニュースで初めてこの美術館の存在を知ったという人間は多いだろうし、さらに自分のような野次馬根性を発揮して一度行ってみようと足を運ぶ人間も多かろうと思われたが、この日は土曜にも関わらず客足は少なく駐車場もガラガラ。到着してすぐに入館せずにまずは件の外観を伺えば、なるほど噂にたがわぬボロボロ具合。





「年季が入った」を通り越して「朽ちている」という表現がぴったりのこれらの杉材は、地産池消を謳ってわざわざ地元で伐採された杉の木から一本一本削り出し、加工した上でガラスの屋根の上や壁に取り付けられているのだという(言うまでもなく専ら意匠のためであってこれ自体が屋根や壁の機能を持つものでは全くない)。館内の意匠も同様のコンセプトで天井と言い壁といい無数の杉材で埋め尽くされているが、屋内外の杉材を見比べて見れば劣化具合はなお鮮明に分かる。



折角来たものだから500円也を支払って入館し展示されている浮世絵を眺めつつ、三億円もかかるという補修費用をもっと安上がりに上げる方法を考えてみる。言ってみれば角材を切り出して取り付ける(取り替える)だけの作業になぜそのような馬鹿げたコストがかかるのかといえば全て特注品だからだろう。特注品がなぜ高くつくかといえば多くは手作業であり機械による大量生産ができないから。流通している杉を無選択で大量に仕入れるのではなくわざわざ地元の杉を伐採し、わざわざ一本ずつ専用形状のパーツを切り出すという面倒くさい作業を手作業で行っているからに違いない。
であればコストの源泉である専用パーツなどすっぱり捨ててしまい汎用品に置換してしまうのがコストダウンへの一番の近道だ。「地域のシンボルたる建物には地元の杉材を用いてこそ」などといういかにも聞こえの良い*2、いかにも地域住民に受けそうだが実際のところ何の意味もないこだわりなど綺麗さっぱり捨ててしまい、これらを全てよく似た形状の大量生産品に置き換えてしまえばいい。見たところ杉材のサイズはほぼツーバイ材と同じであり、規格品の代表格であるツーバイで張り替えてしまうのであれば、工賃を含めても三億円どころか一千万円でもお釣りがくるだろう。専用に拵えた杉材でなくては意匠が損なわれるわけでもあるまい。この意匠は無数の木材の集合体でマスの存在感として成り立っているものであって微妙な曲線だの起伏だので成り立っているような微妙で繊細なものでは全くないからだ。
ツーバイ材といえど毎年きっちりと塗り直しのメンテナンスを行えばそこそこ長持ちもするし、仮に5年ごとに張り替えるとしてもさしたる負担にもなるまい。自分が市長であれば迷わずそうするかなあ。「三億円かかります!皆さんご協力ください!」でショックを与えておいて「市長の鶴の一声で意匠を損なわず一千万円まで削減しました!」とアピールすれば地元の評判も上がり、その実績は再選に向けた追い風にもなるだろう。こんなに簡単に有権者の支持を取り付けられるのであればやらない手はないね。


こじんまりとしたコレクションの鑑賞を終え退館すると、この美術館を改めて裏手から眺めてみる。確かに佇まいは良い。

佇まいは良いのだが激しく痛んだ屋根や壁の杉材が遠目からは廃屋のようにも見えてしまう。何となく戊辰戦争直後の会津若松城を想起してしまうのは自分だけか。
この騒動は三億円という大金(人口1.6万人の労働人口が半分であるとして一人当たり*33.65万円もの負担となる)が関わっているにも関わらず責任の所在が明確でない。少なくとも責任の所在についての報道は皆無である。設計者を批判する声も中にはあるが、そもそも意匠を担当するに過ぎない「建築家」がその後の維持管理面まで責任を取るべきものなのかといえばそれも違う気がする。無垢の杉材を外装全面に用いるという「そりゃ腐るでしょう」案件についてクライアントたる町役場はどのような確認を行ったのか、そしてどのような回答や説明を受け取っていたのか。それは適切なものであったのか、あるいは楽観的に過ぎるものだったのか。町役場側はその回答を真に受けたのか、あるいは聞き流したのか。「これは防腐塗料を塗っているので心配ありません」という余りに楽観的な説明を受け真に受けてしまっていたのか、あるいは「少なくとも一年おきの塗り直しが必要ですよ」と伝えられていたのに放置していたのかによっても責任のウェイトは随分変わってくるようにも思われるが、仮に「これは防腐塗料を塗っているので心配ありません」という極楽とんぼのような説明を受けていたとしても「真に受ける奴があるか」という話である。説明した側も「いや誰も『永久に持ちます』なんて言ってないじゃん・・」と唖然としているかもしれない。見たところ塗り直しの形跡は殆ど見えないところから恐らく塗り直しはこれまでに一度も行なわれなかったものと思われるが、そもそもたった一度の塗布で恒久的に持つ塗料など存在しないし、まして防腐・防水といった特殊な機能ほど早々に失われることは専門家ならずとも「防水スプレー」を革靴や雨具に噴霧したことのある人なら直感で分かること*4。
基本的に木材を雨ざらしにすれば腐るのは当たり前であり、水分が浸透しないように表面にバリアを張るのが塗料の役目だがそれもすぐに剝がれてしまうので頻繁なメンテナンス=塗り直しは欠かせないというのは常識と思ったが*5、そんな想像力すら働かないほど町役場はトンチキなのか、あるいは「自分の責任ではないから知らない」という悪い意味での役人根性が働いたのか。
もし行政の不手際で(少なくとも住民には何の責任もないことは明らかだ)全世帯が何万円という税負担を強いられた挙句電話インタビューに答えるような呑気な口調で「ご協力をお願いしたい」など言われればたちまち抗議電話が殺到し業務が滞るほど炎上するところだろうが、そうなってはいないのは田舎ののんびりさ加減ゆえだろうか。東京都民の端くれとしては、同じ隈センセイが手掛けたやたらと木材を多用した新国立競技場の二十年後が大いに心配ではある。雨ざらしではない分広重美術館よりかなりマシとは思われるが、仮に全面補修が必要となったのであれば多分桁が二つくらい違うよね。

*1:本当は水冷にしたいところだが、以前に大枚叩いて購入した水冷ジャケットの水冷効果は日本の真夏の炎天下においてはせいぜい一時間持てばいいところ。冷却水タンクを氷水で満たしてもたちまちお湯になってしまいとても実用に耐えるものではなかった
*2:こういういかにも「公」が好みそうなコンセプトを打ち出すところが隈研吾は絶妙に上手い。だからコンペで強いのだろう
*3:一世帯あたりではない
*4:殆ど効かないよねあれ
*5:堅く水に強く耐久性が高いと評判のイペを用いた我が家のデッキでさえ毎年のように塗料の塗布を行って劣化防止に努めているし、それを怠って(あるいは飽きて)放置した結果無残にも崩壊している個人宅のウッドデッキはそこら中で目にすることが出来る