カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

タイム・アフター・タイム

毎日の自転車通勤路は距離優先のメインコースと、眼福優先(道沿いに名所多し)のサブコースの二つから、その日の気分と条件でどちらかを選択している。

そのサブコースで帰宅中のある晩、半蔵門に差し掛かった辺りで急に既視感にとらわれる。
一旦通り過ぎたところを引き返し、あたりを見回しながらもう一度ゆっくり走ってみると、その通り沿いには新卒で入社した会社の研修センターが建っている事に気がついた。

入社して間もない頃の研修期間に通ってから十数年の時間をおいて、今度は自転車通勤コースとして朝に晩にその前を駆け抜ける事になろうとは、当時の自分は勿論夢にも思っていなかった事。
何が起こるか分からないから人生は面白いのだが、当時を思い出せばそれからの時の流れを否応なく意識させられる事となる。
昔の自分を思う時いつも胸にあるのは少しばかりの焦燥感、あの頃に比べ自分は何を得て何を失ったのか、もしかしてただ無駄に年をとっただけではないのかと、焦る気持ちを抑える事が出来ない。

時の流れを意識させられる出来事といえば、友人の一人から「子供が中学入試に合格した」旨を知らせるメールを受け取った事も正にそれ。
彼とは同い年で、それこそ自分達の中学受験の頃はああだったこうだったなどと語る事が出来るほどの古い付き合いなのだが、その彼の子供がもうあの頃の我々のような年になっている。
彼との付き合いも一世代の長きに渡るという事になるのか、年をとる筈だ。

付き合いが長いとはいえ片や優等生で片や問題児、長じても早々に結婚して早々に子をもうけ早々に都内に一戸建てを購入して着々と己の人生をビルドアップして来た彼と、紆余曲折一貫してうだつの上がらない単身者である自分。
考えてみればこれもまた対照的な人生で、人によってはそれこそ焦燥感にプスプスと身を焦がしてもおかしくないところだが、幸いな事に他人は他人と線を引く事の出来る性格なので「あー人生色々で面白いよねえ」と、こちらは暢気に面白がっていられる。
或いは、家を建てた事で心に少しばかりの余裕が生まれたのか。