カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

散らかりの遺伝

お金持ちは無駄に持たず貧乏人ほど無駄に持っているものは体脂肪に限った話ではないようで。「貧乏隙間なし」とは言いえて妙な例え。ドキュメンタリーなんかで取材カメラが映す貧乏な独居老人の家は例外なくガラクタで埋め尽くされていて、見てるこっちがイライラするくらい散らかっている。
一連のツイートにもあるがモノが少ないのは生活の余裕の有無だけではなく、散らかっている状態や無駄なモノを抱え込んでおくことに気持ち悪さを感じるかという感性や意識の問題であって、モノ少なく生きることのできる親の元に生を受けたごく少数の幸運な人以外にとってこれは後天的に、自ら努力して獲得するしかない形質。

肥満は遺伝するというのは単に体質の話だけでなく親の太りやすい食生活の慣習の影響を受けた子は同様に肥満に陥りやすいことを指すのだが、同様の言い回しに「貧困の遺伝」というものがあって、これは「貧困層の親は教育や文化を軽視する価値観を持ち、そのためのコストを忌避する」傾向が比較的強いため、その親に育てられた子が貧困から抜け出す機会を得ることは相対的に困難であることを遺伝に例えたもの。
自分としてはこれに「散らかりの遺伝」を加えたい。自分自身で意識していない人もいるかもしれないが、散らかし屋の実家は大抵散らかっているものだ。

我が家はどうかといえば、日々の垢を落とすように意識して持ち物の整理に励まなくては収納もあまりない小さな家はあっという間にモノで埋まってしまうだろうし、そのプレッシャーは常に肌で感じている。
田舎生まれ田舎育ちで田舎の広い家以外で暮らしたことのない我が親は典型的なためこみ屋。収納家具を買ってはせっせとモノを詰め込むのが趣味のようなもので、何しろ生活信条は
「モノはあっても困らない」「モノがないといざという時に困る」。
日本で暮らしたことのない外国人にとって靴を脱ぎ床に座る生活を想像するのが困難であるのと同様に、土地と水はタダみたいな田舎でしか生きたことがなく、しかも戦後の物資不足の時代を知っている人間にとっては「余計なモノはあっても困るだけだし、『いざというとき』など永遠に来ない※1」ことを想像するのは至難の業らしい※2。その影響下で育った子にとってその価値観から離脱するのが容易なことではないのは経験で知っている。

太りやすい体質を受け継いだ人間は気を抜くとすぐに太ってしまうのと同じように、自分も気を抜くとすぐに余計なモノをため込んで空間を乱してしまう習慣を受け継いでいる。人生も後半戦に入ったこれから、年を取るほどモノ少なく楚々とした生活を送るために今後は物欲とどう折り合いをつけていくかが重要な課題となるだろう。
  

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※1 まずいざという時とは何を指しているのか分からない。なくて困るものならその時に買えばいいだけの話だし、百年に一度の大災害を想定していたとしても都市住民なら全方面からの支援を最優先で受けられる。せいぜい缶詰数個と水一本程度用意しておけば非常時の備えとしては十二分で、いずれにしても雑貨をため込んでおく必要など全くない
※2 なので我が家が完成してしばらくの間は全くの親切心から100均あたりで買いあさったガラクタを箱詰めで送り付けてきたりする。そのまま着払いで送り返すのを何回か繰り返したらさすがに控えるようになったが、自分が他人の好意を拒絶することのできない心優しい子であったなら我が家はとうの昔にゴミ屋敷になっている