カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

ささやかな夢の実践(秋のルーチン)

我が家のシンボルツリーたるアオダモの木は10月半ばから徐々に紅葉を始める。

植えられる木にとって決して恵まれているとは言えない小さく痩せて荒れているスペースだが、アオダモには合っていたらしく植樹の時には160cm程度しかなかった樹高も現在は4m、二階の半ば以上に届くほどの大きさまで成長した。

11月半ばの様子

大きく張った枝ぶりにつく葉が紅葉する様子も年々見ごたえを増してくるのだが、惜しむらくは全体が紅葉する間もなく片っ端から落葉を始めてしまい、木の全体が紅葉する(恐らくは)見事な様を見ることは叶わないこと。そして大きく育つにしたがって散り落る葉の量も年々増量、11月半ば以降は落葉のペースも早まり、年末までに完全に落葉しきってしまうまで日々相当な量の落葉が発生することになる。

 

雨の日はパス、なので雨が三日も続けばこうなる

なので、前面道路に広く舞い落ちた葉を掃き清めるのがこの時期における帰宅後のルーチン。
しかし大変とか面倒とか思ったことはない。

落ち葉を掃くのは義務ではなくて権利。落ち葉を掃く権利が自分にはあり、そしてその権利は誰にでも与えられるものではない。たとえ億の値が付くタワマンの最上階の住人であっても得ることは叶わない権利。家を持ち、そして庭に落葉樹を植えた者だけに与えられた権利なのだ。
幸運にもその権利を得た自分が家を建てることを志した時に抱いたささやかな夢の一つが、自分の家の木の落ち葉を掃くこと。その夢を日々実現することを厭う理由などないではないか。

さらに言えば。我が家の前は勿論、時には風に乗って散らばったお隣の家の前まで日々綺麗に掃き清める姿を晒すことは周辺の住民感情を改善する点数稼ぎとなる副産物も期待できる。というのは、場所柄通りがかる上品な老夫婦なんかにたまに「ご苦労様です」などと声を掛けられることがあるから。
ご苦労だと?フフフこちとら好きでやってるだけなのだよバカめと内心で軽く毒づいているのはおくびにもださずその都度精いっぱい愛想よく応じているのだが、ただでさえ得体のしれない独り者、しかも頻繁にけたたましい騒音を建てて何やら得体のしれない工事など行っており、それも鉄工所のような騒音やら木工所のような騒音やらタイル屋のような騒音やら左官屋のような騒音やら、当の本人は夜中になってもヘッドライトを頭に点して遅くまで出たり入ったり出たり入ったり一体何をやっているのやら訳が分からない。そうかと思えば休みの日にはこれまたやかましい車だのやかましいバイクだのをしょっちゅうブンブン言わせてまーあのお宅にも困ったものよねえ、などという空想も中らずと雖も遠からず、近隣に好印象を与えているとは言い難い生活態度である自覚は十二分にあって、自覚があるなら改めろよという話だが赤の他人にどう思われようと自分のやりたいことをやるのが当たり前(開き直ったな)、そのささやかな挽回がこの時期の掃き掃除のルーチンとも言える。自分の楽しみでやっていることを見て公共心があるとかちゃんとしているとか勝手に勘違いしてくれるのであればこんな好都合なことはない。ああ腹黒い。レッサーパンダ並みに黒いね。

 

個人的には落ち葉の絨毯はこのままにしておきたいのだが