カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

おろしや国一週間(17)2018年12月18日 サンクトペテルブルクその6

ペテルブルク発祥の地へ

18世紀の大北方戦争においてピョートル一世が宿敵カール十二世率いるスウェーデン軍への備えとしてネヴァ川河口に築いたペトロパヴロフスク要塞がサンクトペテルブルクの街の始まり。現在はロマノフ王朝の霊廟となっているペトロ・パウェル大聖堂が聳え立つ要塞跡へはゴリコフスカヤ駅から徒歩10分。

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青い二番線のゴリコフスカヤ駅

ルートはこんな感じ。道のどこにも案内板がないがひときわ目立つ大聖堂のお陰で迷う心配はない


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凍てつくネヴァ川にかかる橋を渡る

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ペトロ・パウェル大聖堂の霊廟

大聖堂には所せましと石棺が並べられているが壁にガイドが貼られているので分かりやすい。ビッグネームは祭壇前最前列に並ぶ

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エカテリーナ二世の棺

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最前列右端にトルソー付きのピョートル一世、隣は妻のエカテリーナ一世

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中央部に位置し、肖像画が飾られひときわ多くの花など手向けられているのはマリア・フョードロヴナの棺。デンマーク王室からアレクサンドル三世に嫁入りした彼女の美貌は際立っており、その息子である最後の皇帝ニコライ二世のハンサムは母譲りであることがよく分かる

 

ロマノフ朝最後の一家の棺は祭壇から離れた別室に

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最後のこの霊廟に加えられたその息子ニコライ二世たちの棺は幅1メートルほどしかなく、さらに中身はニコライのみならずその一家全員の遺骨が纏められている。ロシア革命の過程で虐殺された一家の遺骨は粉砕されたうえバラバラに炭鉱に埋められたため、ソ連民主化の過程にある1998年に掘り起こされ改めて国葬された時にもごく一部しか発見されなかったからだ。そしてニコライの子のうちアレクセイとマリアの遺骨はごく最近まで鑑定が行われており、未だこの場に葬られてすらいない。

最後の皇帝ニコライ二世は皇太子時代に訪れた日本で警備の警官に切りつけられ重傷を負い(大津事件)、そのせいか帰国後日本人を猿と呼んでひどく侮蔑するようになる。その侮日感情は日露戦争開戦の遠因になったと言われているほどで人格的にはあまり親しみを感じられない人物ではあるが、その一家の悲劇的な最期には同情を禁じ得ない。ソ連崩壊がなかったら彼らはここに改葬されることもなく、炭鉱の穴の底で未だ泥濘にまみれたままであっただろう。

 

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聖堂内部はいつものように豪華絢爛。いつものように、としか言いようのない豪華さ

 

vimeo.com

 

大昔要塞昔刑務所、今は陰気な博物館

大聖堂を出ると隣接する要塞跡へ。要塞としての役目を終えた後長く政治犯を投獄する刑務所として使用され現在は刑務所博物館となっているが、内部は薄暗く、廊下に立っている職員も陰気で怖いもの好きの人にはお勧め。

 

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陰気な廊下の突き当りには陰気な爺さんが陰気な顔で突っ立っている。怖

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壁の内部に厚くフェルトが張られていたのは防寒のためではなく、囚人同士の壁を叩くことによるコミュニケーションを阻止するためとのこと。


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レーニンの実兄であるアレクサンドル・イリイチもここに投獄されていた

閉館時間になって外に出ると既にとっぷりと日が暮れている。要塞跡に隣接する拷問博物館という看板のマネキンが悪趣味な施設を素通りし帰路を急ぐ。

 

 

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右手ペトロ・パウェル大聖堂、奥がペトロパヴロフスク要塞跡

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対岸のサンクトペテルブルクの街の灯 右

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対岸のサンクトペテルブルクの街の灯 中央

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対岸のサンクトペテルブルクの街の灯 左

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帰りも橋を渡る

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雪の公園をちんたら通り抜けてゴリコフスカヤ駅に到着










 

二度目の玄関タイル張り(1)割り付けと張り方を決める

玄関用に二度目に貼るタイルは前回と同じ伊Refin社の「Voyager」に決定。購入元はいつものサンワカンパニー

購入を決めた時点では品切れ、再入荷される2月後半までに割り付けを考える。
600mmX600mmの大判だった前回と違い300mm×600mmの中判タイルなのでバランスよくできるだけ均等なタイル割にするとして、目地はどうする。すなわち馬目地にするか、前回同様に芋目地にするか。

 

前に施工した玄関タイルもキッチン壁のタイルも芋目地。我が家のタイルは軒並み芋目地なのだが、今回はタイルの趣からして馬目地が合うのに決まっている。何でってそう直観したのだから仕方ない。

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ハマストーンにタイルカットを外注する際に送付した割付図


前回5mmとった目地幅は今回は2㎜とする。目地は太いほど素朴な風合いが増し、細いほどシャープな印象となるが、家づくりにおける腕前の進歩を試す意味もあって今回はそこそこシビアな調整が求められる細い目地を試みる。さらに目地そのものを打たない「目地なし」という貼り方もあるにはあるが、ほんの僅かな誤差も調整できない目地なしは難易度が高すぎるので採用せず。現場でタイルをカットして張るならサイズ調整は可能だが、これらタイルのカットは全て外注なので、ずれや狂いに気づいたところで後の祭りになるからだ。ほんの1㎜であろうとスペースが足りなければタイルは収まらない。
ということでオーソドクスに目地は打つ。ただし出来るだけ細目に。

 

おろしや国一週間(16)2018年12月18日 サンクトペテルブルクその5

ピロシキ食べたらドストエフスキーさん家に行こう

ピロシコバヤでブランチの後はゆるゆるとドストエフスキーが生前住んでいたアパートへ歩く。


文豪ドストエフスキーが生前居住していたアパート*1がそのまま博物館になっている。

徒歩ルートはこんな感じ、ちんたら歩いてもピロシコバヤから10分程度

 

 

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角地、陽当たり良好

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五階建ての二階部分がドストエフスキー

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仕事場

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窓から中庭を眺める

作家としてそれなりに成功していたにしては質素な住まい、それも生前の無軌道な生活ぶりを知るならば納得がいくに違いない。今でこそトルストイと並ぶロシア文学二大巨頭のような扱いを受けているフョードル・ドストエフスキーだがギャンブル依存症で借金漬けの生活破綻者であったことはつとに有名。この街で若い妻と暮らし始めて晩年になってようやく人並みの安定した生活を手に入れたらしいが、彼の作品に多く登場する「どうしようもなく弱い人たち」の説得力のあり過ぎる描写は彼だからこそ成しえたのかもしれない。

 

市場に寄り道

ドストエフスキー家を辞してぷらぷら歩いていると、市民が出入りしている大きな建物を発見。中を覗いてみると市場が広がっていた

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この建物

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中はこんな感じ

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乳製品コーナー

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ヨーグルトは量り売り

歩き回ってみると蜂蜜売り場を発見。結構安いので二種類の蜂蜜を500gずつ買ってみる

 

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日本では見られない豪快な売り方

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奥の容器に詰めてもらう。お土産に最適だが漏れやすいので注意

場所は多分ここ

www.google.com






 

*1:欧州の大都市における住まいはアパートメントが基本、お金持ちは立派なコンドミニアムか高級賃貸アパートメント、貧乏人は粗末なアパートメント。都心にも関わらず一戸建てが多く建っている東京は欧州に比べかなり様相を異にする。念のため、日本でそこそこ立派なアパートメントを指す「マンション」は和製英語で本来の意味は「大豪邸」。日本に詳しくない外国人に「俺んちマンションでさー」というととんでもないホラ吹きか、さもなくば日本流の諧謔ととられるのが関の山なので注意

二回目の玄関タイル選び(決定)

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居候に破壊されたために二度目の施工を行うことが決定した我が家の玄関タイル。

 


当初イメージしていた綺麗めの木目タイルが何か違うと気づいたのが昨年の秋。
再び立て直したイメージを固めるべく、年が明けてから外苑前のサンワカンパニーショールームに再び足を運びあれやこれやを矯めつ眇めつ。

今年で完成から満9年を迎える我が家の課題は「綺麗に古びる」こと。綺麗に古びる家に相応しい玄関タイルは内床の一部のようにかっちりと綺麗に纏まったものでなく、その反対に「外」が家の中に入り込んだようなラフな趣のあるもの。正月休みに訪れた博物館動物園駅の床のように、えも言われぬ古びた味を出すタイルこそ我が家には似つかわしい。

 

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二十数年ぶりに開かれた廃駅

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こういう床がいい

そのイメージを携えて再び訪れたサンワカンパニーで改めて候補となるタイルの現物の質感や感触や色艶をじっくりと確かめる。


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固まりかけたコンクリートのような表情の大判タイル「design industry」

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古い床石のような「Brick Stone」

 

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古い寺院の床のイメージ「Porto Velo」

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錆び板のイメージの「Voyager」


ポルトベロ」が最もイメージに近いものの、表面がやすりのようにざらついているのがどうも気になる。滑りにくいという利点はあるがここまでザラザラでは汚れやすさも汚れの落ちにくさも屋内床として看過できないレベルだろうし、雑巾がけをした雑巾などすぐにボロボロになってしまうだろう。

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転んだら膝を擦り剥くこと必至なポルトベロの表面

慎重に検討を重ねた結果、二度目の我が家玄関タイルは300mm×600mmの中判タイル「ボイジャー」のグレーに決定。地味すぎず派手過ぎず、わざとらしくもなく、程よくボロいこの趣が実にいい。我が家の狭い玄関にもきっといい感じにハマるだろう。工事は暖かくなって十分な時間の取れる平成最後の大型連休に行うこととしよう

アオダモ三度目の春ブースト

アオダモ、三度目の春を迎え昨年にも増して枝の伸びが著しい。昨年もそんなことを書いていたような気がするが今年は更に更に加速度を増している

 

我が家に来た頃には自分の身長より低いくらいだった高さは今や3メートルを軽く超え、若葉の繁りは鬱蒼という言葉を想起させるほどになってきた。ここまで育てば先代のナツハゼのように立ち枯れる恐れは少なく、まずは一安心。引き続き令和も頑張ってくれたまえ

 

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まだ青々とした今年分の伸び枝。20㎝~30㎝ほどの伸展



おろしや国一週間(15)2016年12月17日 サンクトペテルブルクその4

エカテリーナ宮殿へは現地ツアーに申し込むのがおすすめ

パリを訪れた旅行者が日帰りでヴェルサイユまで足を延ばすのと同様、ペテルブルクへの旅行者が何はさておき訪れるのがエカテリーナ宮殿。鉄道駅は通っていないのでバスに乗っていくことになるが、コスト命のバックパッカーであったとしてもここは現地の団体ツアーに申し込むのがおすすめ。各停で迂回しながら現地に向かうより路線バスより直行直帰の専用バスの方が移動に要する時間を大幅に節約できるし、更に入場待ちの長蛇の列となるハイシーズンでは個人より団体の方が明らかに入場の順番で優遇され、ここでも行列時間を大きく短縮できる。時間が幾らでもある余裕のある日程ならともかく、一週間程度のタイトな日程であれば金で時間を買えるならそれに越したことはない。16時を回る頃にはもう暗くなってしまう真冬なら猶のこと。

ということでネフスキー大通りを下ると見えてくるチケット小屋でエカテリーナ宮殿行の現地日帰りツアーに申し込む。とはいえエカテリーナ宮殿ツアーとは書かれていないので、所在地のプーシキン(Пушкин)行のツアーに申し込む。チケット小屋は黄色い三角ビルの手前のこの辺、街歩きをすれば誰でも容易に発見できる。

 

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黄色い三角ビルの手前にあるよろずツアーチケット小屋
冬場のお勧めはロシア語ガイド付ツアー

現地日帰りツアーは海外観光客向けの英語ガイド付きと国内観光客向けのロシア語ガイド付きの二種類あり、それぞれ別の出発時間が割り当てられている。冬場に訪れる旅行者には英語ガイドでなくあえてロシア語ガイドのツアーを勧めたい。理由は時間、英語ガイドツアーは「8時出発の正午戻り」か「14時出発の18半戻り」の時間しかなく、その間の午後のツアーはロシア語ガイドツアーしか選べない。ホテルの朝食も摂らずにまだ夜も明けない時間に出発する朝出発も、現地に到着したと思ったら暗くなってしまう夕方発も冬場の観光には好ましくないので、ここは時間帯優先で正午発のロシア語ガイド付ツアーに申し込むのが正解。ロシア語ガイドが何を言っているかは分からないが、事前にしっかり予習しておけば理解に問題はない。値段も英語ガイド付3000ルーブルに対し2200ルーブルと少し割安。

 

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ロシア語ガイド付ツアーは12時15分発。英語ガイドでは14時発、16時には暗くなってしまう真冬には向かない時間帯


出発時間が近づくとチケット小屋近くに集まってくるツアーバスのフロントガラスに表示された行先を確認してチケットを提示して乗り込む。現地まではおよそ45分、絶えることなく続くガイドのおばちゃんのマシンガントークにうんざりする頃にプーシキン公園に到着。

 

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アーバスのサイズはまちまち、立派な観光バスからマイクロバスから大型ワゴンまで

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道程の45分間、息継ぎ以外絶えず喋り続けるガイドのおばちゃんが中央

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クソ寒そうなプーシキン

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庭園を抜けて宮殿へ

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水色の外壁が雪空に映える巨大な宮殿

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筆舌に尽くしがたい宮殿の説明は割愛。詳しく解説したウェブサイトは幾らでもある

スケール、豪華さともにヴェルサイユ宮殿に匹敵すると言われるエカテリーナ宮殿の壮麗さについては面倒くさいので今更ここでくどくどと述べないが、ヴェルサイユの真の壮大さは東京ドーム何個分かのシンメトリーな巨大庭園にこそあり、その点で同じく巨大ではあるものの庭園の作り込みが弱いエカテリーナ宮殿よりはヴェルサイユに軍配が上がる。宮殿それ自体は両者ともきんきらきんの日光東照宮が質素に見えるほど贅を極めた建築物であり、どちらが豪華で壮麗であるかを比較するのはトラとライオンとどちらが強いかを考えるようなものであまり意味を持たない。ただ18世紀のロシアの国力の強大さに思いを馳せるのみ。小ぶりな体育館ほどのサイズの大広間でエカテリーナ二世に拝謁した大黒屋光太夫は現代に置き換えれば異星で異星人と対面したようなものだろう

 

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そこかしこにある巨大な陶器の塔はもしかして暖炉か

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エカテリーナ二世が着用したドレスにケープ、ワンズ先端の有名なオルロフのブルーダイヤは勿論レプリカ

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壁一面が絵で埋め尽くされた絵画の間

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ロマノフ朝系図関ヶ原の頃の人である初代ツァーリミハイルから大正時代のロシア革命で処刑されたニコライ二世まで

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噂の琥珀の間


エカテリーナ宮殿で唯一撮影が禁じられているのが琥珀の間。文字通り四面の壁面を余すところなく琥珀で覆っちゃったという、秀吉の黄金の茶室が上品に見えるセンスもすごければ独ソ戦の最中に全て壁から剥がして持ち去ってしまったドイツ人の強欲さもすごく、それが未だ行方不明という話もすごければ戦後また元通りに修復したロシア人の執念もすごい、色んな意味で日本人は引いてしまうエピソード満載の一室。室内に撮影禁止の立て看板はあるものの室外からの撮影は特に禁止されていないので、ドアのない次の間からこのような写真を撮るのはセーフ。琥珀の間というから壁面が全て純露のように透明な琥珀(小学生レベルの比喩)で覆われたキラキラした部屋を想像していたが、実際の琥珀の間ではチェルシーのように不透明な琥珀(小学生並の比喩)が多く使われていたので個人的にはやや期待外れ。発想と努力は認める。

 

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宮殿を辞する頃にはもう暗い

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広壮な庭園が広がる屋外

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土産屋台村で売られていた名前メダルは名前読み取りの練習にうってつけ

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帰着する頃はすっかり夜
















 

 

猫砂パッケージ問題

重く大きく嵩張る上に消費が激しいという点で猫のトイレ砂は通販購入が最も適した品の一つと考えられるが、通販でのデメリットは送料がかかること。それを避けるために幾つかまとめ買いするのが常の我が家では買い置きを猫トイレの近くにある人間トイレと壁の間に積んで置いているのだが、ペット用品のパッケージはどうしてああ色彩センスが壊滅的なのか、とにかく色数が多くけばけばしい見た目はそれだけで部屋の雰囲気をぶち壊し、当たりが散らかっているかのように見せる破壊力がある。

 

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けばけばしい色とロゴそして可愛らしく擬人化された動物の絵、これがペット用品パッケージのデフォ

 

小さい家ですっきり過ごすにはこういう細かいところを疎かにしてはいかん。
ということで布袋を取り寄せ、猫砂はいったんこれ移し替えることとした。

 

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当初は雰囲気のある麻袋を考えていたが、目が粗いので砂が漏れるリスクを考え木綿袋に

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土嚢か非常袋のような見た目だが、あの毒々パッケージをそのまま置くよりは余程雰囲気には馴染む。インテリアを重視し、かつ二か月に一回くらいの手間が惜しくない猫飼いにはお勧めのライフハック