カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

今いる地点で既に成功している、という考え方

所ジョージといえばタレント活動よりも今や車・バイク・エアガンなど男子の趣味を突き詰めた趣味人として有名で、当然というか彼の周辺も常に彼の好きなモノで溢れているわけだけど、そのマキシマリスト的な棲家とは反対に人生観は極めてシンプルというか寧ろミニマリストに近いという話。手間がかかることは面倒ではなく楽しいことだとかいう考えなど、夜になると七カ所に分散された二階の照明スイッチを入れて廻る面倒さを楽しんでいる自分は鎖骨の間に顎が食い込むくらい深く頷いてしまう。この人は楽しむことの達人だね

 

 

 とにかくワンフロアでも高層にある部屋に住みたい、一平米でも広い家に住みたい、スズキでなくBMWに乗りたい、1㏄でも排気量の大きいバイクに乗りたい*1という欲求は本当にあなたのものですか、と考えてみるとそれは自分の欲望でなく、実は周囲からこう見られたいという欲望に過ぎないこともよくあるのではないだろうか。自分の価値は他者が決める、なので他人に一目置かれることが俺の幸せだって言いきれる人はそれでいいかもしれないが、社会的な評価基準と内面の幸福基準を混同しない方がいい。なぜなら他者からの評価は必然的に上下の概念を伴うものであり、「あいつに比べて俺は勝っている」を「あいつに比べて俺は幸せだ」とするのであれば「あいつに比べて俺は負けている」イコール「あいつに比べて俺は不幸せだ」となり、ならばどこまでいっても上には上がいる事実の前にいつまでも不幸感、敗北感からは逃れられない。したがって自分の欲求よりも他人の評価に幸せの基準を置く人生は永遠にハードモードのままとなる*2。若い子がタワマンタワマン言っているのは微笑ましいものがあるが、その浅くて分かりやすーい価値基準のまま年食っちゃったら結構辛い人生になるんじゃないかなあ。

我が身を振り返ってみれば専ら自分の好きなように誂えた家と気に入った車とバイクと居候ズと、あとはそういったものをわちゃわちゃ楽しめる健康と時間と維持できる程度の経済力があればそれ以上望むことはほぼないなと。それを他人がどう評価するかなんて全然眼中になくて、だって別にローン返済を手伝ってくれる訳でもない赤の他人が何を言おうと何の関係もないでしょう。なので家も好き勝手に切った貼ったを楽しんでいる。一般的にはプロに頼むのが正解であっても自分の基準ではそうではない。

そんな自分が「どうですカッコいいでしょう」と言いたげな、いかにもスタイリッシュな家ではなく自分の好きな色に染められるシンプルな箱としての家とそういった家を提供する建築士を選んだのは僥倖というよりやはり必然であったのかもしれない。求めよさらば与えられん、というのは一面の真実であるという点でやはりイエスはさすがだなと。いよっ元祖名言製造機*3。まあ人も羨む豪華さとかカッコよさとか螺旋階段とかを求める人はS氏に家づくりをお願いしないとは思うけど。他の施主の方にお会いしても何こいつと思うことがまずないのはそういったことも理由なんだろう

 

*1:バイク乗りの世界には排気量が大きいほど偉いという価値観を信奉する「排気量マウントおじさん」と呼ばれる種族がおりまして

*2:あいつは俺より勝っている、だけど俺は負けずに幸せだと無理なく思えるかどうか。例えばあなたとスティージョブズとでは社会的な評価において月とミジンコかもしれないが、地中にいる彼が最早永遠に味わうことができない冬晴れの気持ちいい空を仰げるだけ今日のあなたは彼より幸せだ

*3:当代きっての名言製造機といえば勿論ROLAND様である