カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

越南縦断(5)3月3日 フエ3(フエ王宮)

それからフエ最古1601年創建のティエンムー寺院、ランドマークの七重塔は立ち入り不可で伽藍の周囲をぐるっと回って終了。

境内には巨大な鉢植えが

この回廊もなかなか好み

日本と異なりレンガ積みの七重塔

 

寺院は緑豊かでそこら中に巨大な鉢植えの植栽が置いてあるのだが、その配置の仕方がいかにも大味というか大らかと言うかで日本のような計算を感じないのが南国らしい

契約したバイクタクシーツアーはこれで終わり。思いのほか短かった(それは安い筈だ)半日ツアーを終えても太陽はまだまだ空に高い。特に予定もないので翌日の予定を繰り上げこの日の午後をフエ王宮に充てることとして最後にフエ王宮まで送ってもらって下車。

 

六畳ほどはあろうかという巨大な国旗が翻る王宮の外門前広場から内門をくぐるまで優に5分以上は歩く。思った以上の巨大な規模に圧倒される。もしかして皇居より大きいのではないか、と思ってその場で調べたら本当に皇居より大きかった。

堀の外、皇居前広場に匹敵する正門前の広場には何かイベントでもあるのか色鮮やかなアオザイを身に纏った婦人の集団が目に入る(伏線)

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皇居前広場の如き広さ

王宮の全体。殆どは戦火で失われ現存するのは僅かだがそれにしても回り切れない

紫禁城を彷彿させるこの巨大な王宮がベトナム戦争において戦闘の前線となったのは映画でも描写されていたが、一度はほぼ廃墟と化したであろう王宮はそれでもかなり修復された様子がうかがえる。それでも模型に表現されたかつての壮麗さとは比ぶべくもないが、しかしその荒れ加減が醸し出す寂寥感が主を失ったかつての王宮には似つかわしい。王宮内部に遺された遺構の数は往年の姿に比べれば極僅かではあるが、それでも歩いて見て回るのは相当に大変。広大な迷宮といったところ。

広大な城域の正門の近く右手にはグエン朝王族専用の劇場が、これは破壊を免れて現存している。王族が専用の劇場を誂えるのは万国共通の傾向らしい。その奥にはベトナム庭園が広がる。この辺で既に足が疲れている

 

 

 

芝居では面を被るらしい。能面より写実的

 

 

オフシーズンであることもあり観光客の姿はあまり見えない。閉門時間が近づくと広大な王宮はほぼ無人に近い状態となり広大な迷宮のよう。どこまでも続く誰もいない回廊の非現実感。人の気配のない遺跡はとてもいい

 

王族のティールーム

王族のティーセット



 

敢えて自分の現在位置を確かめないまま足の赴くまま右へ左へ歩き回り、位置感覚を失った非現実感を堪能する。タイムスリップ感。

 

 

 

本格的に人影が見えなくなったと思ったらいつの間にか閉門時間を経過していた。まあ外に出る分には構わないでしょと余裕で門に向かったら内側からもしっかりと施錠されてしまっている。係員らしき人も見えず、仕方ないので城壁沿いにてくてく2㎞ほど歩き、とっぷりと暮れかかった頃にようやく空いている門を発見。咎められるかと思ったが警備員らしき人は持ち場を離れてのおしゃべりに夢中でこちらを気にも留めない。

この手の施設では閉門に先立って中に残っている人をチェックし追い立てるのが普通なのだが、ここでは全くそのようなことはない。
うん、この緩さは嫌いじゃない。我が国も見習うべきだ笑

 

「出られません」

 

越南縦断(4)3月3日 フエ2

 

カイディン帝廟

バイクタクシーの後部座席で揺られること暫し、まず到着したのはカイディン帝廟。建築はおよそ今から100年前とそう古いものではないが、その他フエの歴史建造物とセットで世界遺産に指定されている。18世紀から20世紀の阮朝の歴史はそのまま激動のベトナム近現代史であり、旧首都フエを楽しむにはそれについての最低限の予備知識と予習は欠かせない。「何かわからないけどすごーい」となるか「ほー、これがあの」となるか、前者でも別に悪くはないが、後者であれば前者の10倍も楽しめる筈ではないだろうか。

 

 










 

ここに葬られているカイディン(啓定)が阮朝第12代皇帝であった頃(日本では大正から昭和初期)のベトナムは既にフランスの保護国(仏領インドシナ)として主権を失い、皇帝とはいえ宗主国フランスの統治システムの一つに過ぎないものだった。なのでその首はフランスの都合でいかようにも挿げ替えられる。反骨精神あふれるベトナム人はフランス支配下でも反仏独立運動の灯を絶やすことなく*1、その勢力に与した10代タインタイ(成泰)帝、11代のズイタン(維新)帝はともにフランスにより容赦なく排除されマダガスカル島に流刑となっている。

それを目の当たりにしてきたせいもあるだろうが、フランスが次に皇帝に据えた十二代カイディンは政治的には民衆と距離を置き、フランスの庇護下で享楽的な生活を送ったとして当時の国民からは概して評判の悪い皇帝であり、コンクリート造のこの廟を生前に建設するために20%もの増税を国民に課したことでその悪評は決定的なものとなったらしい。

 

ミンマン帝廟

続いて訪れたのが第二代皇帝ミンマン(明命)の廟所。カイディンから遡る頃およそ100年、始祖であるジャーロン(嘉隆)帝の跡を継いで1820年に即位したミンマンは儒学に重んじ、父である嘉隆帝の政権樹立を支援したフランス人や建国の功臣を遠ざけ、中国*清)に倣い強力な中央集権体制の構築を推進した。それまで各地方が半独立的な存在であったベトナムが近代的な中央集権国家として生まれ変わったのはミンマン帝の功績といっていい。
ミンマンの行ったことで特筆すべきは国号を「中国のずっと南」を意味する「越南」から「大南」に改めて自国を中国周辺の一属国から「小中華」と再定義したことであり、当時の中国(清)の支配体制に組み込まれるだけでなく自国を中心とした周辺諸国の支配体制を整えるという器用なことをやってのけた点にある。一言で言ってミンマンは「中国ワナビー」であり、そのため阮朝の設立に絶大な支援を行ったフランスとの通商関係を絶ち、国内のキリスト教宣教師も追放して西洋の影響を悉くシャットアウトしてひたすら中国式の国作りに邁進した。この頃のベトナムはまだ自力でフランスを追い払うだけの力があったということであり、同時にフランスがベトナム進出に本腰を入れていなかった時代であったともいえる。

・・という蘊蓄を踏まえて見るミンマン帝廟は、当時のベトナムの国力の充実ぶりを反映したかのように壮大な構えで落日のカイディン帝の廟(これもなかなかに立派なものではあったが)とはスケールにおいて比較にならない。廟所というより庭園とよぶのが相応しいほどのものだ。

湖を二つ超えた先に墓所がある。敷地全体は東京ドーム5個分はありそう

 

 

 

 

 

一直線の通路をまっすぐ進み、石段を昇って降りて昇って降りてを繰り返し、一番奥の石段を昇りつめたところに円いミンマンの墓所はある。門は固く閉じられており内部の様子を窺い知ることは出来ないのだが。

堅く閉ざされた門扉は最近開かれた痕跡もない

ミンマン帝廟の所定のコースは単純な直線を往復するだけのものだが、途中に挟まれた二つの湖畔は気持ちのいい散歩コースでもある。カイディン帝廟を見るのは三十分もあれば十分だが、ミンマン帝廟を駆け足で見て回るのは勿体なく、出来れば二時間はかけてゆったりと見て回りたい。


























*1:当時のフランスによる反仏独立勢力への過酷な仕打ちは後日訪れるハノイのホアノー刑務所で目の当たりにすることとなる。

越南縦断(3)3月3日 フエ1

フエ概略

北のハノイと南のホーチミンの間、南北に細長く伸びた国土の丁度中間ほどに位置するフエHueは漢字名「順*1(トゥアンホア)」の「ホア」が変化して定着した名前と言われている。

この街については数々のベトナム戦争映画で登場する戦場の一つ程度の知識しか持っていなかったが、現在は人口35万人ほどの一地方都市に過ぎないこの街はベトナムのみならずアジア近現代史の中でも重要な意味を持つ古都であることをこの国に訪れる前の予習で知った。

14世紀 陳朝により順化設置
1801年 嘉隆帝が阮朝を樹立
1805年 阮朝、首都を順化に定める
1841年 フランスとの最初の武力衝突(ダナンの戦い)
1858年 フランスの武力侵攻開始(コーチシナ戦争)
1884年 順化陥落、第二次フエ条約により全土がフランス支配下に置かれる
    (仏領インドシナ

1945年   3月9日  日本陸軍による仏領インドシナ制圧、仏軍の降伏
    3月11日 皇帝バオ・ダイはフランスからの独立を宣言(ベトナム帝国)
    8月15日 日本の降伏により太平洋戦争終結
    8月30日 社会主義革命(八月革命)によりベトナム民主共和国設立

           順化皇宮で皇帝バオ・ダイの退位宣言、 阮朝滅亡

 

阮朝の滅亡とともにその王朝が存在したフエも歴史の表舞台から退場することとなったのだが、それまでのおよそ一世紀半に渡りフエは紛れもないベトナムの首都であった。
ベトナム全土を統一した阮朝はその歴史の過程で国号「越南」を「大南」に改め、更に「中国」と称してラオスミャンマーカンボジアなど周辺諸国に対し宗主国として振る舞っていた。本家の中国とは対等な兄弟国であるとし、中華思想ではこの世にただ一人にしか許されない筈の皇帝を自称していたのもその思想の現れ*2で、フエはベトナム阮朝の首都であったのみならず、ベトナムが東南アジアの盟主、ミニ中国であった時代の世界都市でもあった訳だ。

 

フエ半日ツアー

というわけ嫌が応にも期待は高ったものだが、とはいえ、夜行列車から降り立ったフエの街に京都や奈良のような古都の風情は皆無でいささか拍子抜け。そのような目的であれば断然ホイアンを訪れるべきであることは知っていたが、何しろ旧首都なのだからホイアンほどではないにせよ少しは当時の街並みが残っている筈という期待は見事に裏切られることとなった。まあそれはそれで、フエにはホイアンのような世界遺産の旧市街はないかもしれないが、代わりに世界遺産阮朝皇宮がある。この二つが揃っていれば言うことはないのだが。

皇宮からおよそ徒歩20分のホテル前の通り

ホテルの部屋からの眺め。TAKOYAKI屋が向かいに見える

フエの駅からホテルに直行し荷を解くと早速外をぶらつく。阮朝の皇宮跡を訪れるのは翌日に回し、今日は夜行列車の中で手配したバイクタクシーで半日かけて街中から郊外を回る予定だ。フエの見どころは多いが歩いて回るには広すぎる。その都度バイクタクシーと値段交渉するのも面倒なので、Booking.com利用者特典の比較的リーズナブルな半日バイクタクシーツアーチケットを購入しておいたのだ。
予約時間までには間があるのでまずは朝食を摂ることとする。適当に歩いた通りの角で地元民で比較的賑わっている食堂に入った。ここでもやはりフォーを頼む。

 

街角のフォー屋の奥の席に座る

フォーの他は無料で付く付け合わせ

 

鶏肉のフォーで腹を満たして表に出ると、いつものようにバイクタクシーの運転手がしつこく声をかけてくる。彼らが盛んに売り込んでくる内容は既に自分が予約した半日ツアーと同じようなものだが、やはりというか値段は実に正規料金の4倍5倍もの料金で吹っかけてくるので苦笑する。日本人観光客が「この人はおすすめです!」と書き込んだノートなど見せてきて信用できるガイドであることをしきりにアピールするのも定石通りだが、もちろんその裏を知っている自分がその手に心動かされることなどない。とにかくタクシーは間に合っているのだ。「自ら売り込んでくるものにろくなものはない」というぼったくりの法則は日本の繁華街でも海外の観光地においても変わらず万国共通に通用する法則の一つだ。

この国で何度か入ることになるハイランドカフェで冷たい飲み物を飲んで一息ついていると、ややあって予約したバイクタクシーがやってくる。簡単に確認を済ませると、手渡されたヘルメットを被り後部座席に跨って出発する。

 

 

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*1:ベトナムで漢字が完全に廃止されるのは1975年、意外に最近まで漢字が使われていた

*2:しかし本家の中国(清)に対してはあくまで彼らの支配下である「大南国国王」と称し、面と向かって対抗する姿勢は見せなかった。

越南縦断(2)3月2日 ハノイからフエ

空港からおよそ45分でハノイ中心部に到着


空港からおよそ40分も走ると、バスの汚れた車窓からの眺めはいかにも賑やかな街の風景に変わった。
走行中にスマホで調べたところによると、この路線バスは目的地であるハノイ駅前には止まらない。Googleマップで自分の位置が駅に近づいたあたりの適当なバス停でとりあえず下車すると、その場で駅までのおよそのルートを確認する。徒歩でおよそ1.7㎞程度ならまずまずの近さだ。左手にスマホを持ち右手にスーツケースを提げて早速移動を開始した。*1

3月初めのハノイの街は日本で言えば6月上旬程度の気温だろうか、暑いといえば暑いがそれほどの暑さではない。街を歩き始めてまず圧倒されたのが噂通りの交通ラッシュ、そして雲霞の如きバイクの数だ。

 


 

ベトナムにおける歩行者の作法

交通量もさることながら、この地における交通ルールの違いにも面喰らう。信号無視も逆走も当たり前、歩道走行もまた当たり前。こっそりという様子でもなくけたたましいクラクションで歩行者を蹴散らしながら堂々と違法走行を繰り広げる。歩行者優先という概念などある筈もないので、信号機のない横断歩道は全く意味をなさない。そして街中に信号機は非常に少ない。車が止まってくれるのを待っていたら半永久的に通りを横断することなどできないので、歩行者も意を決して車やバイクの濁流の中に横から突入していくしかない。慣れない内はこれは非常な恐怖を伴うのだが、何回か試みるうちにやってくる車両の進行方向を読んでそれを躱す様に歩を進めれば無事渡り切れることに気が付く。こちらに向かって走ってくる車両をじっと眺めればどちらの方向に抜けて行くか流れが読める。決していきなり真横にスライドすることはない。川の流れに沿って流れてくる筏のようなものだ。それに重ならない位置に自分の身を置けばいいだけ。ドッジボールが得意だった人なら適応は早いのではないだろうか。

駅への道すがら、期せずしてTOTOINAXの専門店から名も知れないメーカーまで、水栓やトイレ、バスタブなどばかり売っている店が軒を連ねる通りを通過する。なかなか面白い。

TOTOショールームは最も大きく豪華

こちらはグローエ

以降何度となく目にすることになるコロニアル様式の伝統的住宅
ハノイ

喧噪の街中を暫く歩きハノイ駅に到着した。今晩はハノイに投宿することなくこのまま夜行列車でフエに向かい時間とホテル代を節約する強行日程を組んでいる。発車時間まではなお2時間ほど余裕があったので暫く駅周辺をうろつき、ついでに駅近くの定食屋でミーゴレンのような焼きそばで夕食を済ませる。隣のテーブルでは地元のおじさんグループが何事か喧しく言葉を交わしつつ賑やかに飲み食いをしている大衆食堂といったところ。同じ通りには白人の観光客で賑わっているステーキハウスもあったが、そもそもベトナムくんだりまで来てステーキもあるまい。旅先では基本的に地元民と同じ店で飲食する流儀なので、この国においても滞在中は大衆食堂の証である薄っぺらいプラ椅子に腰かけて食事を摂るのが常となった。

 

夜になっても混雑は全く変わらない

至る所で見かけるココナッツジューススタンド

人口800万人の首都の中央駅にしてはちんまりしたハノイ

ペラペラのプラ椅子がこの国の大衆食堂/酒場の特徴

駅前のハイランドコーヒー。数少ないクレカOKの全国チェーンカフェ

フエ行き夜行列車は19時50分発
ベトナム国鉄の一等寝台とは

発車時間が近づいたので駅に入場しプラットフォームへと進む*2。なんでもありの国らしくホームではどこでも見送り客も乗車前の客もところかまわずタバコを吸い*3、菓子など食い散らし、どこから入ったのか知らないがホームまでバイクで堂々と入ってくる強者もいる。勿論誰も咎められることはない。

外国人乗客もホームで一服。車掌の英語力は中学生程度

ホーム間階段からの俯瞰ショット。スクーターはどこから入ってきた

一晩過ごす一等コンパートメントを外から

一晩過ごす一等コンパートメントを内から

長距離寝台列車は特等から二等までの三段階あり、自分が選んだフエまで6000円弱の一等寝台は二段ベッドが向い合せに並ぶ四人コンパートメント。特等寝台であれば二人部屋になるのだろう。こんな狭い所に大の大人が四人も押し込まれたらさぞ窮屈だろうと思われる小さな四角い空間には、しかし自分の他には漫画をむさぼり読む子供のようにひたすらガイドブックを読みふけっている眼鏡をかけたおさげ髪のバックパッカーの白人女性が一人入っただけだった。お陰でそれほど閉塞感を感じることもなく一晩を過ごすことが出来たのだが、しかしこういうのって普通異性を相部屋にしたりしないのではないだろうか。こんな無頓着さもこの国らしいと言えるかもしれない。まあこちらは一向に構わないのだけど。

コンパートメントには小さなミネラルウォーターのボトルが乗客一人に一本ずつ提供され、発車して間もなく車掌が検札に回ってきた以降は駅に到着することまで何が起きることもない。夜行で移動するのには慣れているが、この寝台車で過ごす一晩は凄く快適とは言い難いものだった。きちんと取り換えられたシーツは清潔でその点は問題ないのだが、小柄なベトナム人に合わせて作られた小さなベッドは平均的日本人サイズである自分ですらやや窮屈に感じる。車内はうすら寒く、何よりトイレの汚さには閉口した。しかも自分の車両はトイレの具合があまり宜しくないらしく、車両全体にそこはかとなくウンコ臭がBGMのように常に漂っている*4。お年を召した人なら昔懐かしの国鉄時代のきったない長距離列車を懐かしく思い出すかもしれないが、いや別にそんなノスタルジーは要らん。

ハノイから670km南下したところにあるフエまでの所要時間はおよそ12時間。飛行機の国内線を使用すればであればたった1時間で到着し、運賃も高いとはいえ特等寝台料金の2倍程度で済むのだから、コスパを求めるのであればベトナム国内の長距離移動は飛行機一択*5。まあ一度は鉄道の旅で旅情を味わうのも悪くはなかろう。二度はなくてもいいかもしれないが。

 

日本人にはちょっときっつい伝統的トイレ。トイレットペーパーの代わりにホースと水道

特等車はトイレットペーパー付き洋式トイレ。トイレのグレードでも差がつくのか・・

 

*1:スーツケースは手で提げて持ち運べるキャビンサイズの小ぶりなケース一つ、従ってガラガラと引くことはない。というのが旅のスタイルだ。

*2:なお切符は勿論ネットで事前購入のEチケット

*3:ていうか明確な禁煙ゾーンは後日訪れるホーチミン廟周辺くらいしかなかった

*4:ベトナムの街はどこもそこはかとなくウンコ臭い

*5:他の移動手段としては長距離バスもあるが、横になることもできない座席で一晩を過ごすのはさすがにきついのでこれは問題外。

越南縦断(1)成田からノイバイ空港からハノイ市内

10時15分成田発QH413便

 

「バンブーエアウェイズ」とかいう聞きなれないベトナムの新興エアラインはLCCのようだがLCCではない、その証拠に成田空港の発着はLCC専用の第三ターミナルではなく、また機内食もきちんと出る。
という前情報の通りに、成田空港第二ターミナルからハノイに向かうQH413便の機内ではちゃんと機内食が出た。それでもシートはあっさりとしたもので背面に乗客向けのモニターがついていないところが格安エアラインらしい。
などと初めは思っていたのだが、各種コンテンツは機内のWIFIを通じ自身のスマホから受け取る仕組みとなっていることが分かって考えを改めた。確かにこちらの方が理に叶っている。乗客にはネトフリなどのコンテンツをスマホで見るスタイルが定着している前提で、映画や音楽あるいはゲームなどの機内エンターテインメントサービスは全てWiFiに乗せて提供することとして割り切る。そうすれば航空会社は高価なモニタ付座席やモニタの劣化あるいは機能の陳腐化による機材の入れ替え、故障修理、フライトの都度配布するイヤホンなどに一切のコストを割く必要がなくなるし、サービスを受け取る側である乗客も解像度が低く使いづらい座席モニタより自身のスマホを使う方がよほど便利なのだから送り手も受け手も共ににウィンウィン。*1
考えてみれば長期間の利用を前提にするのであればハードウェアは機能ごとに分離独立しているべきで、一つのハードに複数の機能を組み込んでしまうのは一見スマートで便利であっても長く使い続けるうちに不便さがはるかに勝るようになるのは想像に難くない。
古くはテレビデオとかツインファミコンとか、これらは出始めの頃から画期的と呼ばれる一方でどちらかが故障したら両方使えなくなるといった突っ込みも受けていたものだが、家づくりで考えてみれば浴室テレビやインターホンの類がそれに相当するのではないだろうか。スマホがこれだけ進化した現在においてはディスプレイの大きさ以外では全てにおいてスマホに劣る浴室テレビなどほぼ絶滅したに違いない*2のだが、もう一方はといえばこれが未だ健在。解像度が低くWiFiにもBTにも非対応で、遠隔操作はもちろんデータエクスポートすら出来ない旧態依然としたインターホンが今なおドアホンのメインストリームに陣取っているのは不思議でならない。14年前の我が家の建築仕様では勿論それ以外の選択肢はなかったのだが、今から家を建てるのであれば勿論あんな不格好で低機能で配線工事まで必要とする代物は採用しない・・・
などとつらつら考えつつ、手元のスマホを操って日本ではまず耳にすることのない聞きなれないV-POP*3をあれこれ試し聴きしたりしている内にハノイに到着。成田から6時間の旅程は「あっという間」と言えるほど短くははないが退屈を持て余すほど長くもない。東京から博多まで新幹線で5時間という実例を引き合いに出すまでもなく、アジアは欧州よりよほど身近な海外であることを改めて実感する。

ノイバイ空港は降機してバスでターミナルまで移動するスタイル
外国においては基本全てクレカ払いで通しているので少し逡巡するも、クレカが通じない場合もあることを想定し、空港内の両替所でとりあえず三万円をベトナムドンに両替する。*4インフレがよほど凄いのか、3万円は510万ドンほどの現地通貨に化けたのでなんだかものすごいお金持ちになった気がするが、1ドンが0.0058円ほどの為替レートとなるのでややこしい。以降は値札の値を見て「ゼロ二つ取って六掛け」でおおよその円換算を行うこととした。
ただ「いい加減デノミした方がいいんじゃない」と言いたくなるどのインフレにもいいところがない訳ではなく、文字通り一円の価値もない貨幣など巷間にはまるで流通していないので、(この後判明することだが)キャッシュレスどころか未だキャッシュフル社会であるこの国においては尚のこと、ポケットでじゃらじゃらと邪魔になる小銭に悩まされることがないことは旅人には大変助かる。
まとまった現地通貨を手にしたところでまずは落ち着こう。ということで、空港内レストランの窓際の席に着くと両替したばかりのドン紙幣を用いて入国して初のフォーを食す。
この国では結局フォーばかり食べていたのだが、その記念すべき一発目はハノイ空港。

香草類のサラダが無料で付いてくるのがこの国のデフォ

 

なんというか、旨くも不味くもない、「なるほど、フォーだな」以上の感想を持ちようもない何の変哲もないフォーとドリンクのセットは17万5千ドンでおよそ千円。うーん高い。空港内の飲食はとりわけ高くつくことを差し引いても高い。日本で食べるより高くついたことは心外だが、さすがに街中で食べるならこんなことはないだろう。そうでなくては困る。
旨くも不味くもない、確かにフォーだなというフォーを5分で平らげて一息つくと早速空港エントランスから外に出る。出口左手にある市内行きのバスが丁度到着したところなのでほぼ待ち時間なしでそのまま乗り込む。
人口800万人の大都市である首都ハノイだがなぜか地下鉄がない。また市内を巡る細かい鉄道網も発達していないので、ノイバイ国際空港からハノイ市内への移動はタクシーかマイクロバスか路線バスの三択となる。到着ロビーの風物詩であるぼったくり白タク運ちゃんの掛けてくる声を華麗に躱しつつ迷わず路線バスへ。
ロシアの地下鉄もそうだが、ベトナムも路線バスなどの公共インフラの価格設定に社会主義国の残り香が強く残っている。市内まで45分ほど走る路線バスの運賃は9000ドン、つまりおよそ50円強。激安だ。これでも数年前から5割近く値上げしているらしいが、白タクなら同じ距離でその百倍は軽くふんだくられるであろうことを考えると、日本では考えられない極端な価格差に奇妙さを感じずにはいられない。
 
 
汚れた車窓越しに見るハノイの空は白く曇っていたが、西に沈みつつある夕陽が綺麗に見えたので良い天気の日ではあったのだろう。今日はハノイには泊まらずにこのまま夜行列車に乗り込んでフエに向かう予定だ。

*1:ただスマホとイヤホンを持ち合わせていない顧客は一切のサービスを享受することができないが、そういった合理的な割り切りはJALANAは最も苦手とすることだろう。

*2:デジタル放送に切り替えられる前に導入してしまった人など良い面の皮、大枚叩いて取り換え工事を行わなければ今となってはただの壁面のオブジェ。今現在あんなの必要な人います?

*3:こんなジャンルが存在することをこの日初めて知った

*4:空港内の両替所は最もレートが悪いことが通説だが、降機する前に手早く検索した結果ハノイにおいては空港の両替所が結局最もレートが良いらしいという情報を入手。

越南縦断(0)

プーチンのせいで頓挫したプランA

コロナ禍による各国の鎖国も漸く解け、三年ぶりに海外に赴けるようになった昨年度の長期休暇。「長期」とはいえ日本の会社勤めの身では一週間+α程度がせいぜいのところだが、行先候補に入れていた東欧も中央アジアも実質的には渡航解禁とは言い難い。何となればウクライナに攻め込んだロシアに敵対する欧州各国ついでに日本の航空会社は軒並み西側への最短路線であるロシア上空のシベリア航路を使うことを禁じられ(あるいは忌避し)、代わりにトルコ経由の南回りかアラスカ経由の北回りで日本と欧州を結ぶ航路を選択せざるを得なくなったからだ。なおアエロフロートはもちろん就航を停止している。

Aviation Wire(www.aviationwire.jp/archives/246092)より

これの何がまずいかといえば勿論貴重な時間とお金。シベリア航路であれば13時間で到着できたパリまで25時間から30時間以上、航空券も格安ですら往復25万円スタートというのでは時間もお金も余裕のない自分のような一般庶民には無理ゲーもいいところ。戦争さえ終わればこの異常な状況も収まるはずだったが、年が明けても戦況は終結の兆しすら見えないので西方への旅程は諦めざるを得なかった。

コロナ禍を克服できなかったプランB

二年以上の長きに渡り運休していた福岡-釜山を結ぶフェリー航路がこの一月から再開したという知らせを受けて急浮上した案が昨年の八十八霊場遍路に引き続くロングツーリング。もちろん行先は朝鮮半島。福岡からフェリーで釜山に上陸、そのままソウルまで北上し再び釜山まで南下する韓国縦断ツーリングだ。高速道路を使えば往復一日ずつあれば十分な距離だろうが、かの国ではなぜか二輪車は高速道路通行禁止なのでひたすら一般道を往かざるを得ない。多少の余裕を見て往復それぞれ三日が妥当なところだろう。
韓国に観光で訪れる日本人は非常に多いが、その殆どはソウル、釜山、大邱といった大都市や済州島など観光都市しか知らない。これといった名所もない街道沿いの街を目にすることなどほぼ皆無だろう。一方、ツーリングにおいては一日の殆どの時間をそのような名もなき地方の路上で過ごすことになる。日本以上に都市に人口が集中するお国柄なら都市と田舎の落差も大きいことは想像に難くないし、地方まで綺麗に整備された日本の道路網とも事情が違うという話も聞く。これは面白そうだ。
わざわざ休みを取って陸運局や免許センターに足を運んで登録証だの国際免許だのを入手し、カメリアラインのウェブサイトでいざチケットを事前購入しようとした時に初めて「航路再開とはいえ車両運搬は引き続き運休、かつ再開のめど立たず」という事実が判明してこの案は敢えなく無期延期。何と紛らわしい。もっと分かりやすく書いておいてくれ。「運航再開が決定いたしました!(人だけ)」とかさ

プランCの旅ベトナム、残り物には福がある?

さて本当に行先がない、という事態に陥って消去法的に選んだのがベトナム行き。かの国はとにかく航空券が安い。自分の日程とはスケジュールが合わなかったが、安いので有名なLCCのベトジェットであれば往復3万円台のチケットも珍しくない。スケジュールに合わせて調べたところ、バンブーエアという聞きなれない現地航空会社の便でハノイ往復6.7万円(燃料代込み)というチケットが最安で見つかった。今時の相場ならこれでも破格に安い。元々暑いのが嫌いで蒸し暑いのはもっと嫌いで、そのため暑い地方への旅行も東南アジアへの旅行も長らく避け自分の旅の季節は冬と決めていたのだが、かくなる上はやむを得ない。人生は配られたカードで勝負するしかないとスヌーピーも言っているじゃないか。ということであまり気乗りのしないままベトナムに赴くこととした。結論から言えば率直に言って面白い。綺麗好きな方にはあまりお勧めできないが、それ以外の人であれば一度は行ってみて損はないとお勧めできる。それも途上国の香りが色濃く残る今のうちに。歴史が好きな人であれば更に二重丸でお勧め。というメモをぼちぼちと。

春の使者

我が家LWH002的にはささやかな庭のアオダモの葉が全て散ってしまった時から冬、そして福寿草の花が開いた時を以て春と定義している。

2月後半、今年も無事春がやってきた。