おろしや国一週間(22)世界一美しい地下鉄駅に行こう!
最終日はチェックアウトしたら午後一のフライト。チェックアウトして空港に直行するには時間が余り過ぎるが遠出するほどの時間はない、このような半端時間を埋めるのが地下鉄駅見学。
世界には美しさでもって知られる地下鉄駅は数多い。ストックホルムのT-セントラーレン駅の青い壁画も有名だが、
そのクラッシックな美しさで世界一美しい地下鉄駅と評されることが多いのがモスクワ地下鉄のКиевскаяキエフスカヤ駅。
空港でも地下鉄駅でも実用一点張りでデザイン要素皆無な日本とは根本的にセンスが違う欧州の駅は見るだけで楽しめるものが多いのだが、冷戦下のソ連が(多分)東側陣営のボスとしての威信をかけてコスト度外視で飾り立てた駅とあらばこの目で見ておかない訳にはいくまい。幸いキエフスカヤは都心なのでアクセスは非常に楽。
ではレツゴー
博物館ではない。単なるプラットフォームをここまでの装飾に駆り立てる馬鹿馬鹿しいほどの情熱もまたおそロシヤ。
キエフスカヤ駅は青色の3番線と水色の4番線、茶色い5番線が交差するハブ駅であり、プラットフォームの豪華な装飾も路線毎で少し趣が変えられているので見逃さないようにしたい。
陰翳礼讃
コロナ禍により在宅勤務を強いられることとなってからもうすぐ一か月。
自宅に仕事を持ち込まない主義の自分にとってテレワークはどれだけ苦痛だろうと危惧していたが、想像通り仕事量と労働時間が更にハードになってしまったことを除けば意外にも大したことはない。現代のネットワーク環境を使えば業務も会議も出社して行うのとほぼ遜色のないレベルで行えることが分かった。
これはこれであり。という事は汎日本的に認識されてきたらしく、最近はアフターコロナの社会の変わり方を予測する記事が多く出ている。今後は通常勤務をテレワークとする人が増え、それにより住環境の選び方と不動産の価値観に根本的な変化が生じるという話は実現したら少し面白いかもしれない。
企業にとっても出勤しない労働力の存在はオフィス家賃や交通費の軽減という意味で歓迎すべきことには違いなく、コロナ禍の後でも基本は在宅で仕事しオフィスには月一回程度出社、という働き方は今よりずっと増えるかもしれない。それが労働人口の三割にも達すれば「とにかく駅近」「職住近接」という家選びの黄金律も根本から崩れることになるだろう。
普段は九十九里の浜辺や鬼怒川の温泉地、あるいは軽井沢の別荘地などで豊かな自然に囲まれてテレワーク、偶にある出社日だけ前泊でもして何とか凌ぐ。都心の会社に勤めながらそのように生きることが市民権を得るようになれば都心の一極過密も地価の馬鹿げた高騰も解消され、同時に地方の過疎問題も緩和され、自分の家を持つハードルもずっと低くなる筈だ。
で表題はというと、陽が沈み家の中が徐々に暗くなっていって徐々に黒い絵の具で塗りつぶされる様に影が闇に溶け込んでいく様を目の当たりにするのもなかなか面白いという、住んで十年にしてなお新しい発見があったという意味。
おろしや国一週間(21)ミハイロフスキー劇場に行こう!
マリインスキー観劇から時は下って2018年12月19日。
再びサンクトペテルブルクを訪れた自分が向かったのはもう一つの名門であるミハイロフスキーバレエ。レニングラード国立バレエと言った方がオールドファンには分かりやすいかも知れない。
ミハイロフスキーバレエの本拠たるミハイロフスキー劇場は堂々たるマリインスキー劇場と比べ比較的小ぶりで小劇場という通り名で呼ばれていたりするが、その実力はマリインスキーにも引けを取らない。というか同じ町にあるだけあって人材の行ったり来たりが活発で、マリインスキーから移籍するダンサーも多いのだからさもありなん。マリインスキーを去った後のルジマートフが属したのもこのミハイロフスキーバレエに外ならない(今は第一線を退いて監督という立場なので残念ながら舞台では見られないが)。
交通の便が悪いマリインスキー劇場と比べ、都心に位置するミハイロフスキー劇場へのアクセスは非常に楽。最寄り駅は青い二番線のネフスキープロスペクトだが冬宮から歩いても10分程度、スパース・ナ・クラヴィーからなら5分とかからない。
今回もチケットは劇場公式ウェブサイトから購入。
今度はQRコードが付いているのでペーパレスのEチケットで間違いない。
演目は奇しくも前回と同じシェルクンチクЩелкунчик、イコールNutCracker、すなわちくるみ割り人形。奇しくもというのは半分嘘で半分本当、まずスケジュールを見て歌劇の日でなくバレエの日を選んだのは故意。しかし旅の日程で選べるバレエの日のスケジュールが軒並みくるみ割り人形であったのは偶然。というかクリスマスシーズンはどうしてもくるみ割り人形の日が増えるのだから偶然というより必然に近いが。
当日は午前中は スモリーヌイ修道院、カフェシンガーで一息ついたら午後は冬宮。その後はカフェの梯子などしつつ街をぶらぶらし、日が暮れる頃に一旦ホテルに戻るとブーツを磨き、N-3Bの下にジャケットを羽織って劇場へ向かう。
前述の通り地の利に優れたロケーションであればマリインスキーのように地下鉄を乗り継ぎ雪と泥で靴を汚しながら苦労して歩くこともなく、宿からは綺麗に除雪された道をぶらぶら歩きながらで楽に辿り着く。
後一つ角を曲がればもう劇場というところまで到達。
今回は珍しく順調だ。順調すぎる。などと思いながらふとスマホに目を向けた瞬間に目玉が飛び出そうになる。
「バッテリー残量6%」
部屋を出るときは確かに70%近くあったiPhoneのバッテリーはマイナス10度の極寒下で急速に消耗し、劇場まであとわずかという地点で早くもバッテリー切れ寸前にまで低下しているではないか。
iPhoneのバッテリーの持ちの悪さと低温下における耐性のなさには定評があるものの、それにしても限度というものがあるだろう。
しかしここで文句を言っても始まらない。Eチケットが入っているスマホのバッテリー切れはそのまま入場不可を意味するが、生憎と充電用のバッテリーは宿に置いてきてしまっている。完全放電してしまったら短時間では再充電出来ない、今来た道をホテルまで取って返して部屋で充電し、また歩いて劇場に…ああ絶対に間に合わない。
やはり一筋縄ではいかないもので、順調転じて大ピンチ。
入場前のバッテリー切れだけは避けなければならない。咄嗟の判断でポケットから氷の塊のように冷え切ったiPhoneを取り出し、腹巻よろしくおもむろに腹に突っ込むと、その冷たさに飛び上がりながら一目散に劇場まで走る。
何とかバッテリー切れ直前で劇場に入場出来て一安心。
暖房が効いている劇場の中でたちまち元のバッテリー残量を取り戻す現金なiPhoneと、それに気をよくして早速劇場の様子など撮りまくる現金な持ち主。
いかにも劇場然としたマリインスキー劇場に比べ、ミハイロフスキー劇場の外観は控えめで学校のような佇まい。大ホールの装飾も豪奢なきんきらきんではなくショートケーキのように控えめで可愛らしい。LWHオーナーとしてはこちらの建物の方が好みではある。
今回の座席はまた奮発して最前列中央、お陰で客席と舞台の間にあるオーケストラまでよく見える。
当初はまばらだったオケ席も開演が近づくにつれ奏者で埋め尽くされ、各々が最後の調整に勤しむ。今にして思えば必ずオケがついていた8時だヨ全員集合はぜいたくな舞台だったななどと思いながらその様子を眺める。
場内の軽食カウンターにはCash Onlyの表示が。現金を一切持ちあわせていない身では指を咥えて眺めるしかないが、食べられないとなると妙に美味そうに見えるのが不思議。しかし今どきキャッシュレスNGはないだろう。
とはいえ郷に入っては郷に従え、ミハイロフスキー劇場にお出かけの際はキャッシュレス派であっても最低限1500ルーブル程度は持参することをお勧めしたい。
おろしや国一週間(20)マリインスキー劇場に行こう!
ロシアという国の特徴としてあらゆる面における格差の激しさが挙げられる。つい最近においても中国を上回る凄まじい国内所得格差のニュースを目にしたが、
これは共産主義社会崩壊後の混乱でうまく利権を掴めたか掴めなかったかに端を発する現象としても、元々ロシアは(皆がちんたらしていて皆が貧しかったソ連時代を例外として)そういう国なのだ。欧州の中でも飛びぬけて低い識字率(19世紀末まで20%程度)であった頃に生まれたロシア文学は世界最高の評価を得、一般庶民は欧州の中でも飛びぬけて貧しい暮らしを強いられていた一方でロマノフ王朝文化は絢爛を極めた。そして戦時中の占領地域における暴虐非道ぶりが未だに語り草になっているほどの粗野な国民性でありながら、その一方で繊細さと優雅さをもって知られる世界最高峰のロシアンバレエを生み出す。
かくも興味深い国ではあることは別としても、ペテルブルクといえばキーロフバレエ。今はマリインスキーバレエ。20年前のキーロフバレエ東京公演来のルジマートフファンとして、ペテルブルクを訪問する目的の一つはマリインスキー劇場に行くこと。ルジマートフ本人は既にマリインスキーを去っているもののマリインスキーバレエが世界最高峰の一つであることには変わりなく、滅多にないチャンスであればやはり訪れない手はない。
というわけでマリインスキー劇場ウェブサイトからチケットを購入。
チケット代は場所により6500円程度から25000円程度まで。一応支払いまで済ませたがボックスオフィスに行けとか書いてあるし、当日夜の公演まで時間があるのでチケットオフィスで念のため確認してみることとする。
ボックスオフィスの場所はネフロスキー通り沿いの黄色い三角ビル。
二階建てだが中はやたら広く、無数のテナントが入っている。ぐるぐる回ってみるが間口は僅かに一間、看板の一つも出てないので非常に分かり辛い。
中に入りウェブで購入した旨を伝えてEチケットで入れるかと聞いたらダメだ今からチケットを発行するという。本当か?まあ先方がダメというからには大人しく紙チケットを受け取る。
日が暮れて劇場に足を運ぶ。最寄りの地下鉄駅はオレンジ色の4番線の終点、Спасскаяスパスカヤ駅。
劇場前に新駅を作る計画はあるらしいが、訪れた時点ではまだスパスカヤ駅が終点。ここから歩かなくてはならないのだがこれが遠い遠い、足元の悪い中を15分はたっぷり歩く。
荷物検査を経て無事入場するとマリインスキー劇場の格式にまず圧倒される。いやジャケットを持ってきてよかった。
あまりいい席が残っていなかったこともあり、購入したシートはR席。R席すなわちロイヤルシート、お陰で開演前に劇場の隅々までよく見渡せる
そして身を乗り出しながらぐるっと動画を
圧巻の一語につきる。これが両極端国家ロシアのピンキリのピンにあたる部分。
演目は日によって異なるが本日の演目は幸運なことに一番好きなЩелкунчик、すなわちくるみ割り人形。くるみ割り人形といえば定番の中の定番、これが好きというのはクラシックでいえば「フィガロの結婚が好きです」というようなもので通に鼻で笑われそうな選択だが好きなものは好きなのだから仕方ない。こと映画では変態ラースフォントリアーのような皮肉で意地悪で救いのない作品ばかり好んで視聴する自分もバレエに対してはまた別、「人生や世の中は不愉快なものであふれているからこれ以上不愉快なものは必要ない、だから僕は美しく幸せで好ましいものだけを絵にする」と言ったルノワールに同調する身としては、これ以上なく楽しく好ましく幸せな演目であるくるみ割り人形こそ至上。
夢のような時間はあっという間に過ぎ、9時を回る頃に無事閉幕。
初めてのマリインスキー劇場は素晴らしい体験だったが、唯一心残りがあるとすれば閉幕後に買おうと思っていたコミカルなくるみ割り人形が売店が閉まってしまっていて買えなかったこと。観覧する人は買い物のタイミングを逃さないように気を付けられたい
気が付けば腹が減った。芸術は素晴らしくとも芸術で腹は満たせない!
ので帰りがけに駅前のケバブ屋で空腹を満たす。笑
抵当権解除はもちろんセルフで
悲願の抵当権抹消手続きは司法書士に依頼すれば実費別で1万円~2万円程度、自分でやれば実費(収入印紙代)のみの2000円。
であれば自分でやるしかない。何としても切り詰めたいほどの莫大な差額ではないもののこれも家に関わるイベントである以上、なるべく自分でやってみようというのが家づくりにおけるポリシー。
やってみたら拍子抜けするほどあっけないのでこれは是非お勧めしたい、ていうかこんなのであっさり万単位の収入を得られるのだから司法書士の独占業務というのはボロいなあというのが正直な感想。とはいえ悔しかったら司法書士になってみなっていうことなので、ボロい商いも死ぬほど勉強して司法試験を勝ち抜いたことへのご褒美の一つと考えれば得心がいく。
抵当権抹消手続きのためには2000円の収入印紙のほか、申請と受け取りの二回に渡って平日に法務局を訪れる必要がある。
ということで人間ドックの後の空き時間を使って法務局を訪れたのが9月の終わり頃。
必要な提出書類は抵当権が記された登記識別情報通知、完済後に銀行から送られてきた抵当権解除証書、法務局HPからダウンロードした登記申請書の五枚。たったこれだけ。
必要情報を記入して判を押し窓口に持っていくと不備がないかその場で改められあっさり受領され、引き換えに受け取り日程の通知書を渡される。
これで手続き終了。二週間後に半休を取って法務局で新たに作成された登記識別情報通知書を受け取って手続きは全て終了。
いや簡単。これまで自ら陸運局に足を運んで自動車の登録を行ったことが何回かあるが、個人輸入代行で入手した車の登録を行った時の難易度を5としたら*1、転居に伴うナンバー再発行は2、今回の手続きは1。難易度としてはその程度。ということで、忙しい人なら手間暇を金で買うつもりで司法書士に頼むのもありだが、こんなに簡単に出来ることなら自分でやってみることを是非お勧めしたい。一般企業と違う官庁の雰囲気や来庁者ウォッチもなかなか面白い。
*1:業者向け窓口独特の固い雰囲気にかなり戸惑うが窓口の担当官は結構親切、不備だらけの書類でもどこを直せばいいか教えてくれる。
今年の私的重大ニュースは我が家が我が家になったこと
今を去ること5か月前の七夕の日。
東京オリンピックに間に合った笑
とりわけ高収入なわけでなく実家の支援があるでなく、もちろんダブルインカム世帯でもない自分が9年(土地を購入してからは10年)で完済出来た理由は、以前にも書いたが自分の健康を担保に生活に最低限必要な資金以外はほぼ全て借金返済に注ぎ込んできたため。
2.2%で始めた住宅ローンは途中一回借り換えて0.7%ほどの低金利になったため、繰り上げ返済する金があるならそれ以上の金利で運用する(米国債は3%程度)方が正解であったのには違いない。しかし損得は別としてとにかく借金を返して一度身軽になりたかったという気分の問題。
大病の一つも抱えたら即破綻するこの一か八かのエクストリーム繰り上げ返済は決して他人にはお勧めできるものではないが、結果としては賭けに勝って無事生還。しかし我が家を我が物にしてふと振り返ってみればいい歳こいて貯金と呼べるほどの貯金もない惨状。
しかし毎月の借金の返済と我が家を差し押さえられるプレッシャーからの解放感は何物にも替え難い。令和元年は自分にとって本当の意味でのマイホーム元年となったのだった。