カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

陰翳礼讃

コロナ禍により在宅勤務を強いられることとなってからもうすぐ一か月。

自宅に仕事を持ち込まない主義の自分にとってテレワークはどれだけ苦痛だろうと危惧していたが、想像通り仕事量と労働時間が更にハードになってしまったことを除けば意外にも大したことはない。現代のネットワーク環境を使えば業務も会議も出社して行うのとほぼ遜色のないレベルで行えることが分かった。

これはこれであり。という事は汎日本的に認識されてきたらしく、最近はアフターコロナの社会の変わり方を予測する記事が多く出ている。今後は通常勤務をテレワークとする人が増え、それにより住環境の選び方と不動産の価値観に根本的な変化が生じるという話は実現したら少し面白いかもしれない。
企業にとっても出勤しない労働力の存在はオフィス家賃や交通費の軽減という意味で歓迎すべきことには違いなく、コロナ禍の後でも基本は在宅で仕事しオフィスには月一回程度出社、という働き方は今よりずっと増えるかもしれない。それが労働人口の三割にも達すれば「とにかく駅近」「職住近接」という家選びの黄金律も根本から崩れることになるだろう。
普段は九十九里の浜辺や鬼怒川の温泉地、あるいは軽井沢の別荘地などで豊かな自然に囲まれてテレワーク、偶にある出社日だけ前泊でもして何とか凌ぐ。都心の会社に勤めながらそのように生きることが市民権を得るようになれば都心の一極過密も地価の馬鹿げた高騰も解消され、同時に地方の過疎問題も緩和され、自分の家を持つハードルもずっと低くなる筈だ。

で表題はというと、陽が沈み家の中が徐々に暗くなっていって徐々に黒い絵の具で塗りつぶされる様に影が闇に溶け込んでいく様を目の当たりにするのもなかなか面白いという、住んで十年にしてなお新しい発見があったという意味。

 

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DKで仕事中の同居人を見下ろす居候の図