最後のやり残しであった洗面のタイル貼りの完了を以て、10年越しで漸く我が家は完成したと言っていい。しかし最後に一つ験担ぎ。
東照宮陽明門の逆柱、知恩院の瓦、下田八幡宮の扁額、姫路城の逆さ揚羽の丸瓦。
これら錚々たる文化財とは比ぶべくもない我が家だが、偉大なる先人の例に倣い洗面タイルをわざと一枚貼り残した状態で工事を終了。即ち厳密には我が家は未だ完成にいたらず。
それが冒頭の画像、最後の一枚のタイルは壁を彩る代わりにルームディフューザーの下敷きとしてその役割を果たすこととなった。
西施捧心の誹りを受けないよう一応その理由を記しておくと、我が国では古来より完成イコール衰退や崩壊の始まりという考えがあって、その験を担ぐためにわざと完成(ピーク)に達しないよう、わざとやり残しや誤った個所を残し敢えて不完全な状態のまま竣工する習慣があったりする。エッセイストの吉田さんも700年ほど前にエッセイのネタにしている位なので、江戸しぐさのようなでっち上げマナーの類とは違い歴とした謂れのある慣習。
確かに頂上から見渡せばどちらを向いても下り坂しかない。一寸の虫にも五分の魂、家運がだだ下がりとならずいつまでも発展途上の右肩上がりとなるようにとの願いがこの小さなタイルの一片に込められている。その最後のワンピースの置き場が猫トイレの上というところで果たして家主がどこまで真剣なのか疑われるところではあるが。