カサエゴ

Casa Egoista (定員一名の小さな家)

(ほぼ)オリジナルLWHを訪問する

残暑厳しい9月上旬の週末、S氏のご相伴に預かってLWH001訪問。

完成から11年余を経たLWH001、実は訪問するのはこれが初めて。002も003も変形モデルでこれから建設する004も平屋でやはり変形、001は一階が全部土間であることを除けばほぼS氏のオリジナルモデルそのまま。若き日のS氏が掲げそして実現した都市住宅モデルとして、文化財を見学するのに似た心持ちでいざ訪問。

 

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チャコールグレーのガルバリウム鋼板の波板が11年の月日を経てさらに自然に街並みに溶け込み、出入口である木枠の引戸が渋味を増している外観。引き戸を開けて中に入ると、全部土間の一階は右側の壁に沿って料理屋の厨房のように長大なステンレス天板のキッチンシンク(幅4m)が広がり、その手前に大きなディスプレイを備えた家主Yさんの仕事場であるデスクが置かれている。

 

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仕事柄写ってはいけないものもあるかと思い仕事場の机は撮影しなかったが(一階の様子はS氏の画像を参照されたい)、仕事机の隅には透明なタワー型ケースに収められた腕時計コレクションがディスプレイされ、その脇に目を移せば真っ赤な工具箱。振り返れば家主Yさんの愛車であるR1200GSとハンターカブが並び、その横の柱の脇には色とりどりのラミーの万年筆インクが積み上がり、その奥の壁際にはトイやサイン色紙が並ぶ。どちらを向いても面白いものが目に入る、ビレバンのような雑貨屋さんを彷彿させる実に楽し気な雰囲気。ミニマリストの素っ気ない部屋とは対極の、男子の好きなものを集めた心地よい空間はYさんの個性そのもの。撮影した画像を見るとこんなに狭かったかなあと首を捻るほど、実際の面積以上に広々とした空間に感じられる。

 

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安定のセイコー・スタンダードクロック

ほぼS氏のオリジナル設計通りの二階は天井の高さが印象的。予算不足で天井が低く抑えられた我が家の二階は「山小屋みたい」と評されたことがあったが、オリジナルのLWHの二階は白い壁に白く高い斜め天井がアトリエのような洒脱な雰囲気で、当時のS氏の趣味というか指向性を伺い知ることが出来る。
おもちゃ箱のような一階とは打って変わって椅子が二脚(とTVセット)だけ置かれるに留められた二階のリビングは、光だけを取り入れて外観を遮断した障子の内窓と相俟って「リラックスするための部屋」という強い精神性が感じられる。

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現実感を遮断する障子窓

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周り階段に控えめに設えられた照明

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を撮影するS氏を後ろから撮影する。綺麗に手入れされた床板は杉

それは最小限の照明で巧みに陰翳を利用して空間を演出しているせいもあるだろう。S氏の施主で家を煌々とした白い光で隈なく照らす人にはこれまでお目にかかったことがないが、わけてもLWH001の照明は最小限。Yさんも陰翳礼讃*1を読んでいるに違いない。

 

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帰り道の向日葵

ビールを飲みすぎて撮影を失念してしまい、肝心の画像がスマホに殆ど残っていないのが悔やまれる*2が、S氏入魂のオリジナルLWHはどこからどう見ても「Yさんの家」だった。住まう人の個性を引き出すのがS氏の家の真骨頂だが、LWH001は特にYさんの暮らしぶりそのままでモデルハウスになるのではないか。相手は選ぶが刺さる人には刺さりまくること請け合い、LWHについて独身者からの問い合わせは割とあるもののなかなか受注に結び付かないとのことだが、諦めて無難に走る前に一度見てみて欲しいなあ。多分考えが変わるね

*1:「最近の家ってちょっと明るすぎね?」ていう本

*2:年も年だしそろそろ飲み方を考えよう

身体的フィードバックとは言い得て妙

先日のエントリでつらつらと綴った、「感触に拘って物を選ぶ」話。


自分が感触フェチのように表現したのとほぼ同じことを勝間和代女史は「身体的フィードバック」と表現していて思わず膝を打つ。さすが文筆業を生業とする人は的確な表現が出来るものだと感心することしきり。

 


しかし、「レバレッジ仕事法」を上梓した20年ほど前から「効率化の鬼」のイメージのある勝間女史に自分と同じように雑味を愛する嗜好があったとは実に意外。効率的に移動し、またジム通いの手間を省くために日々の足としてロードバイクを用いていることやかつて大型バイクに乗っていたことも知っているが(そしてあり得ない頻度で転倒し大怪我したことに凝りてバイクを降りたことも知っているが)、もしまたバイクに乗るとしたら電動バイクを選ぶタイプだとばかり思っていた。人は見かけによらない。

それにしてもまた乗ることにしたとは…バイクを降りるまでの経緯をリアルタイムで見ていた身としては大丈夫なのかと他人事ながら心配になる*1。以前は大きさもパワーも彼女の手に余るディアベルに乗っていた筈だが、200kg前後と言っているので今度はもう少しコンパクトで扱いやすいバイクにしたのだろうか…と調べてみたらレブル500とのこと。

なるほど、確かにレブルならシートも低いし出力もマイルド、少なくともディアベルよりは遥かに女性にも扱いやすい筈。しかし懲りない人だねえ(これは誉め言葉)。

 

*1:話を聞いて分かる通り、この人は根本的に乗り物の操縦に向かないのではないかと思うことがしばしば。バイクのブレーキを自転車のブレーキと混同する人など普通はいない

全てを手元に置く十輪生活

自動車が一台、自転車が一台、バイクが二台、合計で十輪。

我が家に移り住むと同時に設置したシェルターに自動車を収め、ポーチにバイクを収め、その後加わった自転車もポーチ内に設置したポストに吊り下げ、という具合で八輪生活を送っていたが、その後に加わったもう一台のバイクを収める余裕は「擁壁込み19坪(実質15-16坪)」の我が家の敷地には流石にない。というか置くなら雨ざらしにしておく他はなく、やむなく二台目のバイクは徒歩10分の場所に借りたガレージにて保管する状態が続いていた。

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徒歩10分さえなければ借り続けていたかも

新宿区に借りたガレージはリモコン作動のシャッターつきの完全屋内収納でセキュリティは万全、雨風や湿気からも完全に守られる理想的な環境ではあるものの、賃貸料としての毎月1.5万円の固定出費はボディブローのように徐々に我が家の収支を圧迫する。そして何より、

「全部手元に置いておきたいから家を建てた」

というそもそものコンセプトに反する生活を送らざるを得ないことは誠に心苦しい。折角家を建てたのにこれでは賃貸マンション暮らしと変わらないではないか。

ということで慎重に解決手段を検討し、寸法を測ってシミュレーションを繰り返し、これならいける、との見込みが立ったところで満を持してカーシェルター製造元の(株)アカデミーに電話。


あーもしもし?あーどうもお久しぶりです。ところで今回は二回り大きいシェルターに建て替えたいんですが。え?昨年張り替えたばかりなのに勿体ない?いやいやこのままだともっと勿体ないことになるんだって。いいからいいから、じゃあお願いしますね(ブチ)

 

ということで日本全国を飛び回り多忙を極める(株)アカデミーの一人社長をマツコと三カ月、いや待つこと三カ月。ようやく工事の順番が回ってきたのがオリンピックたけなわのほづみ、いや8月1日。

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幅20㎝拡張

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全長は40㎝拡張

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建て替え前は後ろ下がりになっていた天井は後端まで真っ直ぐ

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組み上がったシェルターの奥に

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バイクを真横にして格納。そういえばマフラー替えたね

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その手前に車を格納

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敷地ぎりぎり、シェルター内寸ぎりぎり、計算通りにきっちり収まった

普通に駐車したのでは絶対に真横に向けることは出来ないバイクの真横収納を可能としたのはバイクムーバーのお陰。バイク屋さんで重宝されているというのも頷ける機能性、これはいいね。ただステンレスの車輪でコンクリートが削れてしまうので、床面に何らかの養生を施すのはマスト。自分は1000㎜×2000㎜のアルミ板を下に敷いた。

 

 

兎に角、これで再び乗り物を全て手元に置いて生活することが可能となった。一年半使用すればシェルター建て替え費用も元が取れる計算なので、この決断は大正解。「勿体ないですよー」といかにも気乗りしない様子の(しかし商売っ気がないね)社長を説き伏せて工事に漕ぎ着けて本当に良かった。

夢のガレージライフを送るためにはもっとしっかりとしたガレージを建築したいのはやまやまではあるが、前面道路が3m半程度しかないため敷地内に斜めにアプローチするしかない我が家では四隅に柱を立てた通常のガレージは作れない(作っても車を入れることが出来ない)。残された選択肢での最善手がこのシェルターということで、人間足るを知るということが大事よ。うん(何様?)

副反応の強さに無症状感染歴を疑う夏の終わり

オッス!オラ副反応!

職域接種のモデルナ二回目の副反応から病み上がりでのエントリ。自分の場合は代表的な副反応である高熱は出なかったが、その代わりそれ以外の症状はほぼ出た。

即ち「強い倦怠感」「頭痛」「腹痛」「筋肉痛」「関節痛」「悪寒」「吐き気」「皮膚感覚の異常」、要するに「平熱の風邪」とでもいうべきもの。あまりにかったるいので身体がスローロリスのようにゆっくりとしか動かない状態は、だが接種翌々日の朝には嘘のように全快し、副反応の症状はおよそ36時間以内に限られることも判明。副反応の出方は千差万別なのであまり他人の参考にはならないだろうが、自分の場合はなかなか強めの副反応が一日半にわたりガンガン発生し、そしていきなり綺麗さっぱり消えるという不思議な経緯を辿るようだ。

英国の医学研究審議会チームの発表によれば「感染歴がある場合はワクチンの副反応が強く出る傾向にある」とのこと。

www.sciencedirect.com

 

職場の周囲を見回してみても、接種翌日は体調不良で有休を取得する人が殆ど。みなほぼ例外なく辛い思いをしている有様を見るに、「実は日本人の大半は既に以前に感染し抗体が出来ている(だから諸外国に比べ極端に新規感染者が少ない)」という説は本当ではないかとも思えてくる。ともかく、これを毎年打つのは勘弁だなあというのが正直な感想。

野辺送り

2005年の建国記念日に我が家に来てから、およそ16年半で身罷った居候。

 

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グリーンパイソンの寿命は文献やサイトによって10年だったり15年だったり15年~20年だったり、つまり未だはっきりとしていない。飼育事例が多くないこと、爬虫類は割とあっさり死んでしまうため天寿を全うさせた事例はさらに少ないためだろう。

我が家の居候はおよそ寿命であったのではないかと思う。樹上性の蛇なので枝の上が定位置であるにもかかわらず、ここ1年ほどは枝からケージの底に降りてしまうようになっていた。体力の低下で枝につかまるのもしんどいということであり、自然界であればこの時点で餌を取れず死ぬ。なので遅かれ早かれとは思っていたが、何とか今年の冬を越したところでほぼ限界だったようだ。

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3年半前に新入りの居候と対面した図

 

感触にこだわるライフハック

折角のワクチンも時既に遅し(ていうか何で大都市優先にしないの?)で無観客開催となった東京オリンピック、街で外国人観光客を見かけることもないので我が街でオリンピックが開催されている実感は全くない。車で街中を流すと行く先々で道路が封鎖されているのでそういえばオリンピック開幕したんだったと思い出す位。国民が緊急事態宣言に全く動じず平気で街に出ているのに無観客開催に拘るちぐはぐさ…まあそれはともかく、自車にはエアコンがないばかりか、リアバルクヘッドを挟み背後30㎝にラジエーターが配されているせいで夏場は車内気温が軽く体温を上回る。そんな車でなぜ街中を流すことが出来たのかと言えば、数年前に大枚叩いて入手した水冷ベストのお陰。

 

 

これで氷水を循環させれば一時間は快適に過ごせる。一時間で氷水がぬるま湯になるのでこまめにコンビニにでも立ち寄って氷を購入すれば冷却効果持続は可能、とはいってもそこまでして真夏に行きたいところがある訳でもない。元々夏場は完全にオフとしていたのを車の調子を維持するために月一回一時間程度は乗ろうという目的なので、一時間持てば最低限の要は満たしている。なお販売元ではバイク用を謳っているがバイクで使うことはないだろうなあ*1

信号だらけの都内を僅か一時間のドライブ、だが自分のようなタイプは車を運転すること自体が楽しみなので目的地などあってもなくてもいい。で何を楽しむのかといえばその感触。タイヤとサスペンションとシャーシを介して身体に伝わる路面反力、ステアリングを通して腕に伝わる操舵反力、背後から伝わる回転によって周期が変わる内燃機関の振動*2、変速する度にシフトレバーを介して伝わるトランスミッションの感触、サーボを介さないダイレクトなブレーキの感触。自分が車に乗るのはこれらの感触を楽しむと言って過言でない(EVはこの辺りの手応えが殆どない訳だからつまらないだろうねえ)。

自動車に限らず、考えてみれば自分の趣味嗜好は感触に依拠するところが大きい。家の壁面のトグルスイッチ、日々使用しているメカニカルキーボードや手巻き式腕時計、空冷エンジンのバイクなど改めて見回してみればその感触が気に入って愛用しているものばかり。で更に考えてみれば木造の我が家もその中に入るものであって、階段を昇降する度に無垢一本木の手すりの感触を楽しみ、歩き回る度に木の床のさらさらした表面の感触を楽しみ、さらには木の弾力も楽しんでいる。根太板の上に張られた18㎜厚の広葉樹の床で弾力など感じられるのかと言えば、注意して踏みしめれば固からず柔らからずの無垢の木の床の弾力は確かに感じられる*3。なので毎晩のペーパーモップ掛けですら家の隅々までの木の床の感触を楽しむルーチンに変換されてしまう。感触に拘ってものを選ぶことでそれらを使うこと自体を楽しみに出来ることをどれくらいの人が知っているのかは分からないが、それに無頓着であった人が生活の満足度を手軽に高めるにはおすすめの手段かもしれない。

 

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これも感触に拘って選んだアイテムのひとつ

 

*1:バイクに乗るなら身体を濡らして走行風を受ければ同等の効果を遥かに手軽に得ることが出来る

*2:ただ現在の直4のフィールはややがさつで過去に所有したアルファV6には遠く及ばない。あれは一般庶民に手の届くエンジンの中では最上と言っていい感触で、出来れば今の車に積み替えたい位

*3:木片を接着剤でガチガチに固めた合板の床ではこの弾力は感じられないのだろうし、タイルの床であれば期待すべくもない

セミリタイアを目指す後半戦(3)

不自由なく生きていける最低限度の生活コストを見込んだところで、次にリタイアメントの段階を想定する。

  1. 自己資金を取り崩しながらのんびり生きる
  2. 自己資金を運用し、運用益で生計を立てのんびり生きる
  3. 自己資金を運用し、または取り崩し、毎月の生活コストに不足する分はたまのバイト程度の強度の低い労働で得られる収入で補ってのんびり生きる
  4. 自己資金を運用し、または取り崩し、毎月の生活コストに不足する分はパートタイム労働で得られる収入で補ってそこそこのんびり生きる
  5. 強度の低いフルタイム労働で最低限の生活コストを確保し、そこそこのんびり生きる
  6. 強度の高いフルタイム労働で得られる収入を運用に回し上位(3・4)へのクラスチェンジを目指しつつ気持ちだけはのんびり生きる

文字通りのフルリタイア、昨今の言葉で言えばFIREにあたるのは1か2。運用するまでもなく一生遊んで暮らせるレベルの1、運用益で十分生きていける2はもちろん夢のような生活ではあるが、これを実現するには軽く9桁に届く資金は必要となるし、一介のサラリーマンが徒手空拳から小さいながらも家を建ててその借金を完済し、かつそれだけの資金を用意するなどどう考えても直列では無理。超高給であるか、もしくは直列ではなく並列、つまり自分に商才や投資の才でもあったなら可能であったかもしれないが、今更ないものねだりをしても仕方がない。

少し現実的に考えれば3と4、これが所謂セミリタイア。完全に働かない訳ではないが、生活の為に最低限だけ働いてあとは膨大な自由時間を好きに過ごす。週一回程度のバイトでもすれば十分補えるのが3で、週三日程度パートタイマーとして働けば十分補えるのが4。これも手持ち資金が覚束ない現実は如何ともしがたく、今の自分にはまだ遠すぎる。

そうすると現実的に選択できるのは5か6、5は広義でのセミリタイアに該当しなくもないが、6はリタイアは勿論セミリタイアにも該当しない、言うなれば心情的セミリタイア。強い上昇志向とともにガリガリ働くのではなく、心身にストレスを掛けないことを第一にちんたら働く。5では収入は最低限、だが一話完結の仕事で後を引かず、定刻できっちり上がれるので拘束時間は最低限。6はその逆でまだ収入を重視し拘束時間の長さには目を瞑る。

毎日16時間の自由時間を確保できる5は魅力的なクラスではあるが、手持ち資金は減ることはなくとも増えることもないので4以上へのクラスチェンジは望めない。6を選択すれば生活様式はこれまでとほぼ変わりないが、少しずつでも手持ち資金は増やせるので4以上を実現する可能性はまだある。

自分の年齢で再就職を果たせるのは強いコネがある、もしくは余程スーパーな実績がある人物に限られる。しかし収入を問わないのであれば話は別。コネもなくスーパーリーマンでもない自分は成り行きにまかせ5を選んでのんびり暮らそうかと思っていたところが、幸か不幸か採用が決まり6でしばらく続行というソフトランディングと相成った。しかしうまい具合にこれまでに比べ格段に責任も負担も軽い立場であり、手は抜かずとも気は抜いてノーストレスに近い働き方が出来るので願ったり叶ったり。まだ体力があるうちはしばらくはこのまま心情的セミリタイアで働き続け、数年経っていよいよ身体がきつくなれば無理せず(ボロボロになるまで働く意味って何さ)5に移行、あわよくば3か4を目指すのを今後しばらくの人生の方針とした。

傍から見ればこれまでと何ら変わりない生活に見えるかもしれないが、自分自身の内面においては大きくシフトチェンジ。失われた「毎日が日曜日」な日々への回帰を目指す、これが後半戦の第一歩。